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日本認知科学会

入会のご案内

長尾真

2012年フェロー.
京都大学名誉教授

長尾真氏は1936年三重県に生まれた.実家は代々神主で,父親は長尾氏が生まれた当時伊勢神宮に勤務しておられ,後に奈良県の橿原神宮の宮司をされた.時代が違っていれば自分も神職を継いでいただろうと言う.このような背景があるからこそ,工学部にいながら,言語・画像・辞典・図書館といった人間的なものに魅力を感じ,研究対象としてきたのであろう.

長尾氏は滋賀県の大津東高校(現在の膳所高校)を卒業後,1955年京都大学工学部電子工学科に入学した.学部・大学院修士課程を通じて電磁気学の研究室に所属し,数値計算を研究テーマとしていた.それが縁で,当時まだ日本で生産されていなかったディジタルコンピュータの開発プロジェクトに関わることとなった.これが氏とコンピュータとの出会いである.修士時代にALGOL60というプログラミング言語を知り,ALGOL60で書かれた数式の構造を分析し,それをアセンブラ言語に変換するプログラム(コンパイラ)を作って修士論文にまとめた.たんにプログラミング言語を使って数値計算するというのでなく,プログラミング言語そのものの構造に興味を持つあたりがユニークな視点であり,のちの自然言語処理・機械翻訳研究へとつながっていく.

修士課程修了後,パターン認識研究で著名な坂井利之教授にこわれ,1961年に京都大学工学部助手に採用される.当時はオートマトンや形式言語理論を勉強し,一般の文脈自由言語の構文解析に興味を持っていた.おそらくは長尾氏自身は記号処理や言語処理の研究をすぐにも手掛けたかったのではないかと思うが,坂井氏の提案により手書き文字認識の研究を始める.そこでは,オートマトンモデルを手書き文字認識に応用した方式を提案した.この方式は初期の郵便番号の自動読み取り装置に使われ,その実用的有効性が示された.

この頃から米国で人工知能研究が盛んになり始め,長尾氏も人工知能の考え方にもとづいて人間の知的なふるまいをコンピュータで実現するということを本格的に考え始めた.手書き文字認識研究がひと段落した後,人間の顔写真の認識という極めて難しい課題に取り組む.ボトムアップな情報(濃淡変化の情報)をもとにして顔の輪郭線や目・鼻・口を検出するとともに,解析が行き詰るともう一度検出をやり直すというフィードバック機構を導入することで,かなり高精度な認識を行なうことができた.この方式は試行錯誤的なやり方だが,極めて人間的なやり方とも言えるだろう.その後も,リモートセンシング画像など複雑な自然画像の解析に黒板モデルを導入するなど,人工知能的手法による画像処理の分野を開拓し,国際的に大きな影響を与えた.これらパターン認識関係の研究については,東京大学出版会の『認知科学選書』シリーズの3巻『コンピュータのパターン認識』に心理学や認知科学の研究者向けにわかりやすくまとめられている.

パターン認識・画像処理の研究のかたわら,もともと興味を持っていた自然言語処理・機械翻訳の研究も始める.言語に関する研究では,ALGOL60の研究の流れから,当初チョムスキーの生成文法理論に可能性を感じていた.しかし,そこに決定的に欠けているものに気づく.有名な例文“Colorless green ideas sleep furiously”は意味はなさないが文法的である.チョムスキーは,この文が文法的であると感じる話者の直観を重視し,このような知識(統語知識)を明らかにすることを研究の中心に据えていた.しかし,長尾氏は違った.我々は文法的に正しいかどうかだけでなく,意味をなすかどうかも判断できる.また,コンピュータによる言語処理を考えると,たんに文法的に適格な文を生成できるだけではしょうがなくて,(ある文脈で)意味をなす文を生成できないといけない.さらには,“I bought a car with four doors” と “I bought a car with four dollars”では,前者はwith句がcarに係り,後者はboughtに係るといったことがわからないと,正しい日本語文に翻訳できない.こういった課題に取り組むには統語知識だけでは不十分で,意味を取り扱うことこそが重要なのだと長尾氏は考えたのであった(まだ1960年代半ばのことである).この考えは後に意味素として機械翻訳研究に取り入れる.

1969年にはグルノーブル大学客員助教授として1年間フランスに滞在し,機械翻訳研究グループで調査・研究を行なう.当時のヨーロッパでは,多種の言語に共通する中間言語を規定し,それを介して多言語間で翻訳を行なうという中間言語方式が提案されていた.しかし,長尾氏はすぐにこの方式の限界に気づく.汎用的な中間表現など理想論であって,実際には設計できないのである.とくに,日本語と英語のように構造がまったく異なる言語間では共通の中間表現の設計は難しい.後に提案する用例主導翻訳は中間言語方式の対極にある考え方と言える.

フランスから帰国すると,京都大学工学部には情報工学科が新たに設置され,上司の坂井教授はそちらに移籍していた.長尾氏も自身の専門によりふさわしい情報工学科に移りたかったのではないかと想像するが,電気・電子工学科にとどまり,そこでコンピュータ教育に力を注ぐ道を選ぶ.思えば,このとき電気・電子工学科にとどまってもらっていなければ,筆者たちが長尾先生と出会う機会はなかったかもしれず,筆者たちにとっては非常に幸運なことであった.この間,言語解析と文字認識に関する研究で工学博士を取得し,講師・助教授を経て,1973年に教授に昇任する.

機械翻訳は初期のころから積極的に研究を進めてきて,1978年に科学技術分野の論文標題の翻訳システムを開発した.この成功を受けて,1982年から4年間,科学技術庁からの依頼で機械翻訳プロジェクトを推進した.対象は科学技術論文の抄録の日英・英日翻訳であった.このプロジェクトは基礎研究というよりは,目に見える結果を求められるプロジェクトであり,非常なプレッシャーの中引き受けたと聞く.辻井潤一氏や中村順一氏といった研究室のスタッフに加え,多くの企業の研究者に参加してもらい,50人を超える規模の研究チームを組織した.長尾氏はここで構文解析・構造変換・文生成からなる構文翻訳方式を採用するが,句構造文法は語順が自由な日本語文の解析には不向きとみてフィルモアの格文法を導入する.同時に,辞書中の名詞に意味素(「人」「動物」「人工物」「抽象物」などの意味分類)を与え,動詞のそれぞれの格にどのような意味素を持つ名詞が来うるかを記述することで,意味的に整合した解析結果が得られるようにした(詳細は著書『機械翻訳はどこまで可能か』に詳しい).この方式はその後,日本語文の解析手法として広く用いられているとともに,我々人間もこれと類似のことを行なっていると示唆されている.このプロジェクトは成功裏に終わり,科学技術庁からも高く評価される.なによりも企業への影響が大きく,プロジェクトに参加していた研究者を中心として各企業での機械翻訳研究がその後盛んになっていく.社会への影響の大きさが氏の研究の特質の一つである.

この分野におけるもう一つの重要な仕事は用例主導機械翻訳の提唱である.たとえば,“A man eats vegetables”が「人は野菜を食べる」に訳されるという事例があれば,類似の英文“He eats potatoes”に対して,単語の置き換え(「人」→「彼」,「野菜」→「ポテト」)によって訳文「彼はポテトを食べる」を得ることができる.Eatの別の用法の対訳事例“Acid eats metal”⇔「酸は金属を侵す」があれば,たとえば英文“Sulfuric acid eats iron”が二つの用例の英文のどちらに近いか(この場合は後者)を判断することで,同様の方法で正しい訳文を得ることができる.対訳用例を(実際には文単位だけでなく句単位の用例も)たくさん蓄えておき,類似例を探すことで翻訳をしようというこの方式は用例翻訳と呼ばれる.これは我々人間が,過去に出会った特定の事物と新しい事物との類似性に基づいて推論を行なうというのと本質的に同じであり,長尾氏自身は「アナロジーによる翻訳」と呼んでいた.氏がこのアイデアを初めて提唱したのは1981年のことであったが,当初は何の反響もなかった.しかし,氏はこの方式の有効性を疑わず,1990年頃から研究室内や関連研究所でこの方式を使った機械翻訳の研究が本格的に始まり,世界的に注目されるようになった.今日この考え方を取り入れた研究開発が世界の各所で行なわれている.氏の先見の明と自分を信じる信念に感服されられる. 自然言語処理の研究でも数多くの重要な仕事があるが,ちょうど筆者らが学生だった頃(1990年前後の数年間)には,複雑な長い日本語文の解析や照応理解などの文脈解析に力を注いでいた.いずれも当時は誰も手掛けていなかったようなテーマである.他人のやらないことをやるのが長尾氏のモットーであるらしく,周りがみんなやりだすと自分はさっさと次のテーマを探すのだそうである.やりたいことが次から次へと出てくるのか,当時は画像処理と機械翻訳,自然言語処理(それも辞書・形態素解析から文脈解析に至るまで)の幅広いテーマを手掛けていた.一つの研究室でこれほど手広く扱っていることはまれで,筆者らは学生時代に人工知能の幅広い分野にくまなく触れることができた. 当時の長尾氏はすでに極めて多忙な状態にあった.いつのことであったか,格文法で著名なチャールズ・フィルモアを京都大学に招いて講演会が催された.招聘者である長尾氏はもちろん一番前の席に座って聞き入っていた.と,気がつくと,疲れのせいか居眠りしているのである(あるいは沈思していたのかもしれない).フィルモア先生の目の前で,などと学生ながらもハラハラしていると,講演が終 わるやいなやはたと身を起こし,極めて的確な質問やコメントを浴びせるのである.考えてみれば,氏はフィルモアの研究の一番の理解者の一人であり,一を聞けば十がわかるといった感じであったに違いない.しかし,こんな調子で学生にも接してくれるのだから,学生にとってはたまらない.どんなに忙しくても週1回の研究室ゼミにはほとんど毎回出席してくれていたが,学生の発表中は聞いているのか聞いていないのかわからないような体である.興味がないのかと思っていると,発表が終わるや痛烈なコメントが浴びせられるのである.自分が発表の週にはみな戦々恐々としたものである.が,そのおかげで学会発表でも少々のことでは動じない度胸がついたのかもしれない. この頃から大学運営に深く関わるようになり,1986年から大型計算機センター長,1995年から附属図書館長,1997年から大学院工学研究科長を務めた後に,1997年末に第23代京都大学総長に就任した.総長在任中には桂キャンパスを開くなどの事業を実現した.学外でも多くの役職を歴任し,こんな状況で研究などできるのかと思いきや,1990年頃から新しく電子図書館の研究を始める.これはそれまで行なってきたパターン認識・画像処理・自然言語処理・機械翻訳研究で得られた成果の上に立ち,マルチメディア情報処理・ディジタル通信機能を包含した総合的情報処理システム研究として企図したもので,たんに従来の図書館を電子化するというのではなく,電子化資料が有機的に結合された近未来の世界での図書館の在り方を考える革新的なものであった.その成果をまとめた著書『電子図書館』は情報処理分野のみならず,21世紀における図書館の在り方を示すものとして各界に大きな影響を与えた.

その後,長尾氏は広く国の行政に関わる役職につき,2001年に国立大学協会会長に就任して国立大学法人化の難局を切り開いた後,京都大学を退官後は独立行政法人情報通信研究機構理事長を経て,2007年から5年間国立国会図書館長を務めた.学協会の役員・表彰は数えきれないほどあり,長年にわたる優れた研究業績に対し,IEEE Emanuel R. Piore 賞・電子情報通信学会功績賞・情報処理学会功績賞・国際計算言語学会 Lifetime Achievement Award などを受けるとともに,1997年紫綬褒章,2005年日本国際賞を受賞し,さらに2008年には文化功労者に選ばれた.このように長尾氏は終始,工学という視点から人間知能のコンピュータによる実現という研究に携わってきた.氏は認知科学とはむしろ一定の距離を置いていたように思う.なぜ自分のやっていることが認知科学と関係があると言われるのかわからないとよくおっしゃっていた.しかし,ここまでの記述を見れば,氏の研究が認知科学と深く関係していることは誰も疑わないであろう.実際,氏は日本認知科学会の設立に大きな影響を与えた1980年の日米認知科学シンポジウムの中心人物の一人であり,1983年に設立された日本認知科学会の設立メンバーの一員である.なによりも,1989年からは日本認知科学会の第2代会長を務めている.また,1980年代半ばから1990年代初頭にかけての認知科学に大きなインパクトを与えた『認知科学選書』シリーズを戸田正直氏・東洋氏・波多野誼余夫氏・佐伯胖氏とともに編集している.おそらくは,言語学・心理学・哲学といった関連領域に共感を覚えつつも,あくまで自己流でやってきた自身の知能研究を謙遜してあのように言っていたのではないかと思う.氏が自分の研究を人間の知能と深く関連づけて考えていることは,さまざまな著書からうかがい知ることができる.

人的交流という面でも長尾氏は認知科学に大きく貢献している.1980年代に氏は京都大学を中心とする言語学・心理学・自然言語処理などの分野の研究者を集めた有志の学際的研究グループを組織し,月1回の極めて濃密な研究会を開催していた.この会は後に「対話研究会」と名づけられ,関西一円の若手研究者を巻き込んだ,認知科学関連領域の一大拠点となった.筆者らが研究室に加わった頃には,中心人物の多くが地方に散っていき,長尾氏自身も大学運営に忙しくなったために,この会は一時休止状態になっていた.筆者の一人がこの会の運営を引き継ぎ,数年間活動を再開したが,これは非常に貴重な経験であった.当人はその後人文系に転向したのだが,それにはこの会で出会った言語学や心理学の先生方の影響が大きい.なによりも,人工知能の幅広い分野に加え,人間の知能に関する広範囲の研究に触れる機会を与えていただいたことは,認知科学に興味を持っていた者として恵まれていたと思う.

それでも長尾氏は工学と科学(自然科学)との間に一線を画している.科学は自然世界のできるだけ客観的な記述や説明を目指すのに対して,工学は物を作り上げるための設計法を与え,それに基づいてその物を作り上げるための方法を明らかにする.そのため,科学は物事の本質に極力集中しようとし,それ以外の事柄は捨象する.いわば骨組みだけを考える.一方,工学は現実世界の具体物を相手にしているので,骨組みの上に実際の肉づけをしなければならない.これが長尾氏の捉え方である.実は,認知科学もここでの工学と同じような態度で臨まないと成功しないのではないだろうか.人間知能にとって重要な事実は,それがヒトという進化の産物の中に実際に実装されていることであり,人間はそれを駆使して現実世界の中で実際に生きていることである.この実践においては,必ずしも理想化された状況における原理・規則だけでなく,個別的で場当たり的な「処方箋」も多く用いられている.場合によっては,人間知能とはそのような実践知の集合体なのかもしれない.人間知能それ自体が自然の設計した具体的な構成物であるということを考えるなら,「骨組みの上の肉づけ」を重視すべしという氏の工学観を認知科学者も参考にしなければならない.

長尾氏はまたトータルな人間である.大学受験時にも電子工学だけでなく,物理学や哲学にも興味を持っていたし,人工知能分野の研究者となってからも幅広い研究テーマを手掛け,言語学・心理学・哲学などさまざまな関連領域と接してきた.読書の幅も広く,カントなどの哲学書からシェークスピアなどの文学まで読む.偏った人間になりたくないというのが氏の信条だったようである.これもまた認知科学や情報科学のようなトータルな学問に携わる者にとって重要な資質であろう.昨今の学術研究は極めて細分化され,専門外の人には話が通じないということが多い.それでも,日本認知科学会が大会時の口頭発表のシングルセッションをかたくなに守っているのは,認知科学を「トータルな学」としてとらえているからである.なかなかできることではないが,長尾氏のようなトータルな人間・研究者を目指す気持ちを我々認知科学者は失ってはならない.

最後に,長尾氏は最近,自伝『情報を読む力,学問する心』を書かれた.ここには,研究者・社会人・日本人・人間としての氏の半生が生の言葉でつづられている.本稿の執筆の際に大いに参考にさせていただいた.ここでは詳しく紹介できなかった大学行政や国の行政にいやいやながら巻き込まれていく様や,そこでも苦労を重ねつつ力を発揮する姿が生き生きと描かれている.ぜひ一読していただきたい.

主な著書

長尾 真 (1983). 『画像認識論』. コロナ社.
長尾 真 (1983). 『パターン情報処理』. コロナ社. 長尾 真 (1983). 『言語工学』. 昭晃堂.
長尾 真 (1985). 『コンピュータのパターン認識』. 東京大学出版会.
長尾 真 (1986). 『機械翻訳はどこまで可能か』. 岩波書店.
長尾 真 (1988). 『知識と推論』. 岩波書店.
長尾 真 (1989). 『画像と言語の認識工学』. コロナ社.
長尾 真 (1992). 『人工知能と人間』. 岩波書店. 長尾 真 (1994). 『電子図書館』. 岩波書店.
長尾 真・佐藤 理史・黒橋 禎夫・角田 達彦 (1996).『自然言語処理』. 岩波書店.
長尾 真 (2001). 『「わかる」とは何か』. 岩波書店. 長尾 真 (2010). 『情報を読む力,学問する心』. ミネルヴァ書房.

(伝 康晴・黒橋 禎夫 記)