1. はじめに
三輪和久先生,この度の日本認知科学会フェローの受賞,誠におめでとうございます.筆者は,大学院生となった2001年の頃より,三輪先生の共同研究者として,日常的に議論をする機会に恵まれていることから,この度の紹介記事を執筆する任をお受けいたしました.身近に接することで実感した三輪先生のお人柄を紹介できればと思っておりますが,文字として残してよいもの,かなわないものとがございますので,その点はご容赦ください.
2. これまでの歩み
三輪和久先生は,1984年に名古屋大学工学部を卒業後,1989年に同大学大学院工学研究科を修了(工学博士)し,同大学情報処理教育センターに助手として赴任されました.その後,1993年に同大学大学院人間情報学研究科助教授を経て,2004年より名古屋大学大学院情報科学研究科メディア科学専攻の教授,そして,2016年より,同大学院情報学研究科心理・認知科学専攻の教授として現在に至ります.その間,1991-1992年に,米国Carnegie Mellon University, Department of Psychology にvisiting assistant professorとして,人工知能および認知科学の生みの親の一人でもあるH. A. Simon(限定合理性に関する研究により1978年にノーベル経済学賞を受賞)に師事しました.日本認知科学会においては,皆様ご存じのように,2011-2014年に編集委員長,2015-2016年に副会長,そして,2017-2018年に会長を務められました.
3. 高次認知研究
三輪和久先生の研究の興味は,高次認知にありますが,対象としてきた(いる)研究テーマは,非常に幅広いものとなっています.キャリアとしては,モデルベースアプローチと実験的アプローチを両輪として,科学的発見や洞察問題解決といった概念の変化や思考の飛躍を伴う思考過程を対象にした研究を開始し,創造性,類推,外的資源,認知モデリング,インタフェース,認知負荷,自動化システムへの過信/不信,認知的廃用性萎縮,身体スキル,そして,それらに関連した学習支援に関わる研究を展開しており,近年では,マイクロネゴシエーション,モビリティ,そしてウェルビーイングといった領域に研究の幅を広げています.日頃,研究指導において,「我々教員がやりたいことに学生をいかに引き込めるかが重要だ」ということ,そして,「教員の持ち出しになって終わってはいけない」と口酸っぱくおっしゃいます.ただ,「いかに引き込めるか」というところが絶妙で,単にこちらのテーマを押し付けるのではなく,学生の興味とすり合わせ,また引き出し,指導できる形で研究テーマを作り上げるという根気が,これまでカバーしてきた研究領域の広さの一因となっていると思います.
4. 学生の受け入れ
三輪研究室は,内部進学よりも外部からの入学希望者が多く,また,心理学から情報工学まで,バックグラウンドも様々です.年に一度,夏の時期に,学部・修士課程の中間発表前のまとめ,博士課程の研究の底上げ,そして,親睦を兼ねた夏合宿を行っています.夜の部など,お酒も入り,ざっくばらんな話の中で,「そもそもなんでうち(三輪研究室)だったの?」という話題によくなります.趣味嗜好や三輪研究室にたどり着いた理由などに対して,「X君(さん)は,変わってるよねぇ~」となるのですが,言われた側としては,いえいえ,先生が言いますか,と思う次第です.と言うのも,サイエンスに興味を持たれていた三輪先生は,大学進学の段階では,名古屋大学工学部応用物理学科を選択されました.物理学といういわゆるハードサイエンスの道に踏み入ったものの,抽象性とそこからくる手触り感のなさから,残念ながら,物理学の世界にはのめり込むことができなかったようです.その後,友人と一緒に塾を開き,中高生の勉強を見ていく中で,人が学ぶプロセスや心そのものに興味を抱くようになり,学部は教育工学の研究室に属し,大学院では情報工学を専攻することになります.幸いにも,1983年には日本認知科学会の発足とその後の全国大会の開催など,日本において認知科学が発展する機運が高まっていた時期でした.大学院時代には,認知科学という,これまでブラックボックスとされてきた人の心を対象に,その仕組みを理解する面白い分野を知ることとなり,サイエンスとしての心の理解に舵を切り,研究に没頭することになります.このようなご本人の経緯もあり,様々なバックグラウンドを持つ学生が,三輪研究室の門をたたき,同じように悩み,認知科学に出会ったことへの親近感から,あのような感想が漏れているのだろうと理解しています.
三輪研究室からは,これまで多数の修士号取得者,および,計22名の博士号取得者が巣立っています.特に博士号を取得させることに関しては,親身になって学生さんと一緒に研究を進め,根気強く最後まで面倒を見る姿は印象的でした.私を含めて博士号取得者は皆,学位を取得するまでの長い長い,山あり谷ありの中で,定期的な研究成果の発表をはじめ,研究進行のスケジューリングまでも,面倒を見ていただきました.三輪先生には「私はあなたの秘書じゃないです」と私も頻繁に言わせてしまいましたし,言っている姿もよく目にしておりました.巣立った学生が,それぞれの大学で活躍し,また,教員や研究者の立場での大学での様々な愚痴をこぼしているのを耳にすると,笑いながら「ざまあみろだな」とおっしゃいますが,認知科学の道に進み,思いを共有する研究仲間が増えたことをうれしく思われているのだと感じます.
5. 研究議論
週に一度の定例の研究室セミナーでは,1,2名の研究発表と輪読が行われて,議論は,長時間に及びます.また,個別の研究議論にも多くの時間を割いていただいています.最後にはよく,「煮詰まったね」と言って,議論を終えることも多いです.実験計画などに対しては,「その実験をやるとして,その結果を聞きたいと思いますか?」とおっしゃるのをよく覚えています.アイディアを共有する研究室のメンバーが,結果はどうなっただろうと興味を惹かれないようでは,面白い話になっていないということをおっしゃっていました.また,データ分析の段階では,「実験をやって,何にもないということはない,物語を作りなさい」とおっしゃられます.特に,予想通りの結果が得られなかった場合,データをとことんしゃぶりつくした先にある,データの見方の転換が第2の山場でした.そして,結果の解釈においては,「コアとなる概念を1つ確定させて,異なる概念を並列させない」,「一貫した説明で結果をすべて説明する努力をする」ことを口酸っぱくおっしゃっています.一連の話を聞いて,「分かった感があるか?」というのが,最後の山場です.論文としての目途がついたときには,感慨深く,「こういう話になったんだね」とまるで他人ごとのようにおっしゃられます.振り返ってみると,結果の解釈等,当初の考え方とは,ガラッと変わっていることも多く,この研究が,こうまとまったんですねということもよくありました.三輪先生が留学先のSimon先生のところから発たれる際,指導いただいたことの感謝を込めて,これまでの議論を通して,アイディアがどのように変遷して現在の形になったのかの過程を大きな更紙にまとめてお見せしたそうです.その際,「これまでの議論でこれが一番面白い」と言っていただいたと楽し気に語っておられました.研究対象に対する理解だけでなく,その過程での自身に起こる思考の転換に驚き,愉しむ心をずっとお持ちだということがうかがえます.三輪先生は,「メモ魔」で,一言メモを添えたphotoログに始まり,少し前に伺った際には,1日800字の縛りを課して,その日の記録を残しているとおっしゃっていました(最近は,埋めないと落ち着かず,書くことが目的となっているとも).この原稿を書くにあたって,ご本人から,研究テーマをまとめた資料をいただいたのですが,どういったテーマに,誰がかかわり,そこからさらにどのようなテーマに派生したのかを一覧するチャートでした.引退したら,これまで貯め込んだデータを使って一人称研究をしたいとおっしゃっており,研究者人生おいて経験された思考の変遷が炙り出されるのを,楽しみしております.
6. n =
三輪和久先生にとっての大学の授業は,学習科学としての実験の場であるというのが大きな特徴です.それは,研究テーマと直結する専門性の高い授業だけでなく,情報系のリテラシー教育といった教養系の授業でも一貫しています.もちろん冗談ですが,受講生の数がnに見えるとおっしゃっており,そういった気持ちで,我々も日々の教育活動と研究をリンクしなければならないなと思った次第です.ただ,授業計画の中に,その時々の研究テーマに関連した実験を組み込む必要があることから,授業直前などは,夜遅くまで議論を繰り返し,準備するのが常です.特に意識されているのが,受講学生自身が関わったデータが,授業テーマに関連しながらフィードバックされ議論の種になること,あるいは,リテラシー教育であれば,そのデータを使って可視化の手法を学ぶなど,手触り感のある授業であり,その妙技は,大学教員として学ぶべきものです.
7. むすび
健康診断の時期の時期になると,どうでしたかという話になるのですが,三輪先生は,レッドアラート全開で,「数値が悪くても,体が寿命までもてばいいんだ」と,「ん?」と傍からでは疑問が生じることをおっしゃいます.適度な不摂生を愉しみつつ,わくわくしながら研究を続けられる姿を今後も見せていただけると信じております.
文 献
『認知科学』掲載論文
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三輪和久・松下正法 (2000). 発見における心的制約の緩和過程. 認知科学, 7(2), 152-163. https://doi.org/10.11225/jcss.7.152
山崎治・三輪和久 (2001). 外化による問題解決過程の変容. 認知科学, 8(1), 103-116. https://doi.org/10.11225/jcss.8.103
石井成郎・三輪和久(2001). 創造的問題解決における協調認知プロセス. 認知科学, 8(2), 151-168. https://doi.org/10.11225/jcss.8.151
山崎治・三輪和久(2002). 図的な外化による問題解決過程変容のシミュレーションモデル. 認知科学, 9(1),135-148. https://doi.org/10.11225/jcss.9.135
中池竜一・三輪和久(2002). ハノイの塔を用いた協調的目標設定プロセスの研究. 認知科学, 9(2), 285-301. https://doi.org/10.11225/jcss.9.285
冨田隆・三輪和久(2002). 発見における有効な仮説検証方略と協同の効果. 認知科学, 9(4), 501-515.https://doi.org/10.11225/jcss.9.501
齋藤ひとみ・三輪和久(2003). 問題解決活動としてのWWW 情報探索:科学的発見の枠組みに基づく検討. 認知科学, 10(2), 258-275. https://doi.org/10.11225/jcss
.10.258
石井成郎・三輪和久(2003). 創造活動における心的操作と外的操作のインタラクション. 認知科学, 10(4),469-485. https://doi.org/10.11225/jcss.10.469寺井仁・三輪和久(2004). 洞察研究に基づく「モノ探し」のプロセスの分析. 認知科学, 11(3), 262-269.https://doi.org/10.11225/jcss.11.262
寺井仁・三輪和久・古賀一男(2005). 仮説空間とデータ空間の探索から見た洞察問題解決過程. 認知科学,12(2), 74-88. https://doi.org/10.11225/jcss.12.74
森田純哉・三輪和久(2005). 異なる他者の視点を取ることによる問題解決の変化:類推の枠組みに即した検討. 認知科学, 12(4), 355-371. https://doi.org/10.11225/jcss.12.355
林勇吾・三輪和久・森田純哉(2007). 異なる視点に基づく協同問題解決に関する実験的検討. 認知科学, 14(4), 604-619. https://doi.org/10.11225/jcss.14.604
市原貴史・三輪和久(2008). 説明構築を促す科学授業の実践研究. 認知科学, 15(2), 251-268. https://doi.org/10.11225/jcss.15.251434 認知科学(2024) 31(3) 431-434.
田村昌彦・服部雅史・三輪和久(2010). 仮説検証過程における確信度更新と検証系列:情報獲得モデルによる検討. 認知科学, 17(1), 180-195. https://doi.org/10.11225/jcss.17.180
神崎奈奈・三輪和久(2010). 創造活動における説明の効果に関する実験的検討. 認知科学, 17(3), 589-598.https://doi.org/10.11225/jcss.17.589
田村昌彦・三輪和久(2011). 洞察問題解決における類推的手掛かり利用の検討. 認知科学, 18(2), 299-313.https://doi.org/10.11225/jcss.18.299
林勇吾・三輪和久(2011). コミュニケーション齟齬における他者視点の理解. 認知科学, 18(4), 569-584. https://doi.org/10.11225/jcss.18.569
寺井仁・三輪和久・柴田恭志(2012). マジック課題を用いた予期しない現象の原因同定過程の分析. 認知科学,19(2), 146-163. https://doi.org/10.11225/jcss.19.146
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松室美紀・三輪和久・原田悦子・須藤智・富田瑛智・牧口実・繆嘉傑(2018). 自動車運転中の車載機器操作に加齢が与える影響:時間知覚と活性化拡散に着目したシミュレーションによる検討. 認知科学, 25(3),279-292. https://doi.org/10.11225/jcss.25.279
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三輪和久(2019). 認知モデルを作ることによる学習. 認知科学, 26(3), 322-331. https://doi.org/10.11225/jcss.26.322
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二宮由樹・岩田知之・寺井仁・三輪和久(2023). 成功状況におけるより良い代替解法の発見と意図的探索の関係:マウストラッキングに基づく検討. 認知科学,30(3), 217-231. https://doi.org/10.11225/cs.2023.011
服部エリーン彩矢・山川真由・三輪和久(2023). 創造性評価における実用性考慮:評価者の新奇性追求傾向と教示の交互作用. 認知科学, 30(3), 245-254.https://doi.org/10.11225/cs.2023.029
(寺井 仁 記)