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日本認知科学会

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市川伸一

2018年フェロー.
東京大学大学院教育学研究科教授

本稿は,日本認知科学会のフェローを受賞された市川伸一先生 (東京大学大学院教育学研究科教授)の経歴と業績を紹介するものである。市川伸一先生は,心理学的発想を生かして教育実践や研究を生み出すことがかくも面白いものであることを教えてくださり,研究の世界に誘ってくださった恩人である。
 また,学校現場での仕事にも誘ってくださり,往復の飛行機や新幹線の中で何時間にもわたり,その日に見た授業を巡ってひたすら議論をするという機会も与えてくださった。時には相反する意見を述べながらも,市川先生の持つ実践をみる「技」を,一滴残らず学び取らんと目と頭をフル回転させていた,あこがれの存在でもある。
 教え子の代表として,そんな先生の業績を紹介するという大役を承ったことは,大変光栄であると感じている。ただ,「おひととなりもわかるように書いてください」という認知科学会からのご連絡を受け,少々私には荷が重いようにも感じている。特に,市川先生が基礎研究に邁進されていた若い頃については,論文を通してしか,市川先生を知らないのである。
 それでも,本稿を書くにあたって,あらためてインタビューなどもさせていただき,若い頃から市川先生は市川先生であったと確信した次第である。基礎から実践へと研究の関心を広げ,現在では社会に対しても多くの発信をされるまでとなっておられる市川伸一先生の研究の歩みをともに振り返るとともに,根底に共通する人や社会へのまなざしや,発想法を伝えることを試みたい。私のつたない分筆力で,本当にそのようなことがかなったならば,これほど幸せなことはない。

1. 先生の生い立ちとご経歴
 市川先生は1953年に東京でお生まれになったが,法務省の技官でいらっしゃったお父様の転勤に伴って,大阪や大分などいろいろな地域の学校に通われた。大阪府立天王寺高校を卒業された後,東京大学理科I類に入学されている。もともとは天文学を志望されていたというが,軟式テニス部や音楽サークル活動にも没頭され,最終的には実験心理学を伝統とする文学部心理学科に進学されて学部,大学院時代を過ごされた。
 大学院時代に熱中されていたのは,後述する視覚イメージの研究である。28歳のときに,埼玉大学経済短期大学部に心理学関連の専任講師として勤められた。この時期もイメージ研究は続けられていたものの,新たに三囚人問題などをテーマに,新たなご研究を展開されつつあった。
 その後,35歳の時に東京工業大学に異動された。その前後に新たに取り組まれるようになったのが,心理学を生かして学習者の自立を支援する個別学習相談「認知カウンセリング」の実践である。その後,40歳で東京大学教育学部に異動されたあとも,この活動は継続されており,1989年に東京工業大学で始まった認知カウンセリング研究会は,今年で30周年を迎え,現在でも毎月1回行われている。 
 その後,こうした実践から見えた子ども達の問題をふまえ,日々の学校での授業法として「教えて考えさせる授業」を提案されるようになった。現在では「教えて考えさせる授業」に取り組む学校を中心に,年間50回も出張し学校現場の先生と一緒に実践を創り出している。2001年からは学習指導要領の方向性を審議する,中央教育審議会教育課程部会の委員としてもご活躍である。以下では,ご研究を4期に分けて紹介する。

2. 第I期:視覚イメージの記憶範囲
市川先生が大学院時代に最初に取り組まれた研究テーマは,「イメージの記憶容量をいかにして測定するか」ということであった。言語的な記憶容量を測定する方法は,メモリースパンがあまりに有名である。それに対してイメージの記憶容量を測定する方法を,新たに開発しようと試みたというわけである。
イメージスパンを測定するにあたり,マトリックスの中にいくつかのドットがはいったパターンを提示し再生してもらうのだが,その測定に付随して,提示時間の影響や,言語的な記憶容量との関係,知能テスト課題との相関などを明らかにした(Ichikawa, 1982, 1983)。大学院当時の指導教員であった大山正先生からは,「市川君の墓石には,ドットパターンが刻まれるだろう」という言葉をいただいたと聞いている。
ただ,面白いのはこれだけではない。最初はランダムに配置することにこだわっていたドットパターンであるが,その配置の構造に関心が移っていったという。パターンの複雑性の認知では,量的特性から構造的特性を差し引くようになるという Susan Chipman の発達研究を拡げて,成人における複雑性判断に現れる個人差や条件差を数理的なモデルと心理実験から明らかにしていった(Ichikawa, 1985)。
「量」の中に「構造」を見いだすことが認知的な負荷を減らしていくという発想は,実はその後の先生の実践的研究でも立ちあらわれてくる。市川先生自身,研究や日常生活の中で「うちの研究室のキーワードは『構造化』だ。どう構造化するか,その方法を考えよ」としばしば語られている。その発想の根は,この時から生まれていたのである。

3. 第Ⅱ期:直観的な確率判断
 イメージスパンの次に先生が着目されたのが,「三囚人問題」である。TverskyとKahnemanの一連の研究から,人間の直観的な確率判断が数学的判断とはかなりずれてしまうことが示されており,先生自身も興味を持っておられた。
研究会の中でそれらの研究をレビューする中で,大学時代からの友人であった下條信輔氏と何か発展的研究はできないかと考えられたようだ。最初は,三囚人問題を変形し,理数系の学生にとっても,ベイズの定理に基づく数学的規範解の結論が直観的にはおよそ受け入れにくい場合があることを示した(Shimojo & Ichikawa, 1989)。変形三囚人問題とそれにまつわる一連の研究は,当時の日本認知科学会で多くの議論と研究を呼んだと聞いている。人間の認知メカニズムに関心を寄せる認知科学らしいテーマであったのだろうと推察する。
 ただし,そこでのこだわり方が,現在の教育研究にも通ずる市川先生らしいところであったように思う。先生は,直観的に納得できない数学的な解が,どうすれば納得できるかを考える方向に研究をすすめ,「ルーレット表現」と呼ばれる図を考案した。ルーレット表現を通じて,ベイズ的判断がどのようなしくみで出てくるのかが目に見える形で明らかになる。さらに,学習者自身が,直観と数理的判断がずれてしまう原因を自覚し,数理に基づいた判断を納得して受け入れるための道具としてこの図を活用した。すなわち,直観的な理解を促進するための有効な教育の方法を考えたのである(市川,1988; Ichikawa, 1989)。
 こうした三囚人問題にまつわる市川先生の業績は,初期には日本認知科学会の第1回論文賞,のちには日本認知心理学会の第4回独創賞を受賞している。自分の素朴かつ直観的な判断を分析し,なぜそうした現象が生じるのかを自ら理解し,克服しようとする発想は,後述する「教えて考えさせる授業」での授業設計においてもしばしば現れる。認知のメカニズムを明らかにすることを超えて,学習者自身が,認知のメカニズムを自覚的できるツールを使って克服に挑むという市川先生の一つの理解の深め方の姿が垣間見える。

4. 第Ⅲ期:「認知カウンセリング」の実践
 三囚人問題とほぼ並行しながら先生が取り組まれたのが,個別学習相談「認知カウンセリング」の実践である(市川,1989)。最初にこの研究に取り組まれた背景には,教育にどう認知科学が生かせるのかを明らかにしたいというモチベーションからであったと聞いている。今でこそ,認知科学が教育に生かされることは多くの人が認め,その発想の一部は新学習指導要領にも生かされている。しかし,当時は,懐疑的な研究者も少なくなかったようだ。市川先生ご自身も,それを確かめるために,自分でも持てる教育実践を,ということでこの研究を始められたという。
 埼玉大学在職時は,統計学やプログラミングが分からないという大学生や大学院生を対象にし,どのように考えているのか,どのように学習を進めているのかを面接で聞き出すとともに,お礼もかねて教えていたという。当時は,インタビューしていると,「これが論文で言及されていたメンタルモデルか」とか,「これが素朴概念か」とか思えることが沢山あって,それだけでも興奮したとおっしゃっており,認知研究の知見が,ここで現実の場面と対応づけられていったことが分かる。
 東工大に移ってからは,大学院生や有志の研究者とチームを作って,小中高校生の教科学習にその対象を広げられた。認知カウンセリングを通じて,一対一の面接や指導で丁寧に見ていくと,子どもたちの学力や学習方法がどういうものかが明らかになってきたという。例えば,素朴概念,学習観,処理水準,自己説明といった視点から見直してみると,実際の子どもたちの行っている学習が,認知科学が推奨するものとかなりかけ離れていることに気づくようになる(e.g., 市川,2000)。
 また,1990年代には学校の授業を見る機会が増え,認知科学的な視点で学校の授業を見てみると,学校の授業がこうした問題を克服するようになっていないことを実感されたという。現在の市川先生のご研究の特徴の一つは,「認知理論をふまえて教育実践を見つめ直し,そこから現在の教育環境において求められることを提案する」という点にあろう。この研究スタイルが可能になったのは「研究者も実践し,実践者も研究する」という認知カウンセリングのスローガンのもと,子どもの認知と丁寧に向きあい,一斉授業では掴みにくい子どものつまずきに向きあってきた経験があったから,と市川先生はしばしばおっしゃっていた。
 
5. 第Ⅳ期:「教えて考えさせる授業」の提案
 認知カウンセリングにおける実践経験をふまえて提案され,その後各地の学校教育にも取り入れられるようになったのが,「教えて考えさせる授業」である。この提案に先立ち,市川先生は,学校での学習を習得型学習と探究型学習に分けて捉え,そのバランスとリンクを重視するという「学習の2サイクルモデル」を提案されている。「教えて考えさせる授業」は習得型の授業の「オーソドックスなモデル」であるという(市川,2004, 2008)。
 この授業法について一言で伝えるのは難しいので,是非書籍に当たっていただきたいと思うのだが,あえて一言でその特徴を述べるとすると,「教えること(受容学習)」と「考えさせること(発見学習)」を統合している。授業冒頭は意味の理解も含めて基礎知識をしっかりと教師から教え,共通の知識を学習者がもった上で,協同学習等で理解を深めるための問題解決や発展的な討論に取り組むという,一見当然のような基本設計である。
 しかし,ただ単に受容学習と発見学習を統合するのではなく,認知科学的研究や認知カウンセリングでの実践をふまえ,学習者自身がメタ認知を働かせられるような機会が多く設けている。例えば,教師の説明の後には,自分自身で説明し,理解を確認することを促す段階(理解確認)や,最後に自分の理解度を言語化する段階(自己評価)などが設けられている。教師からの教授と学習者のアクティブな活動のバランスに配慮しつつ,深い理解を伴った習得を目指すという授業設計の考え方は,中央教育審議会の答申にも盛り込まれるようになっている。
 この提案の背景には,教育界での極端な動向や議論のされ方に疑問を感じられたことがあるようだ。かつての日本の教育は教師からの一方的な知識伝達が多いと言われ,逆に「ゆとり教育」においては,教師が教えずに子どもに発見させるような授業がよいものとされた。1999年に起きた「学力低下論争」は,教科の基礎学力を擁護する保守派と「新しい学力観」や「ゆとり教育」を支持する革新派のぶつかりあいでもあった。習得と探究の学習サイクルや「教えて考えさせる授業」は,どちらとも違う「第三の道」であった。
 こうした点に市川先生の発想法の一つの特徴が見える。それは,両極端の議論のどちらかだけではバランスを欠くと考え,その両者のうまい折り合いをつけるという方向性である。ただし,単に折衷して両者の中点をめざすということではなく,ヘーゲルのアウフヘーベンのように,認知研究などの新たな視点を取り入れ,独自の新たな道を提案する点に特徴がある。
 
6. 研究•実践における市川先生のまなざし
 ここまで4期に分けて先生の業績を紹介してきた。また,こうした研究に通底する市川先生のまなざしとして,「量のみならず構造に着目する」,「研究者も実践し,実践家も研究する姿勢」,「単なる折衷を超えた,両極端の考え方の統合(第三の道の提案)」などを取り上げてきた。
 最後に,ここまで触れられていない市川先生から学んだ実践および研究に向き合う際のまなざしについて触れたい。私自身は,学部学生のときに認知カウンセリングの実践とそのケース検討会の面白さにのめり込み,研究者の道に入っていった。認知カウンセリングのケース検討会において大事にされている精神が「批判は歓迎,ただし代替案を!」という発想である。
 認知カウンセリング研究会では,様々な実践事例を持ち寄って検討し,市川先生もご自身の担当した事例や,最近は学校での授業実践を発表される。かつては学部学生であった私にも,市川先生の実践に批判的意見を述べることが歓迎される雰囲気があった。ただし,いつも問われるのは「では,あなたならばどうするのか?」ということである。
 この精神は,ケース検討会のみならず市川先生が大切にされていることであり,私達教え子に問いかけ続けられている。学校現場に出て何かコメントを述べる機会には(もちろんそれがベストとは限らなくても)必ず自分ならばどうするのかを提案してくるという姿勢につながっている。研究も同様であり,他者の論文や発表を批判するだけでなく,どうすれば面白くなるのかを議論しあう文化が,ここにはある。
 私にとっては,抽象論や分析を述べて終わりにするだけではなく,また,批判を述べて新たな視座を与えるというだけで終わるのでもなく,「自分ならばどうするのかを具体的に考え,提案してみる」ということが,先生から学んだ大切な生き方ではないかと感じている。

文献

1.視覚的パターンの記憶
Ichikawa, S. 1981 Rated ease of memorization of dot-in-matrix patterns: Multiple regression analysis by physical variables which describe configuration of dots. Japanese Psychological Research, 23, 69-78.
Ichikawa, S. 1982 Measurement of visual memory span by means of the recall of dot-in-matrix patterns. Behavior Research Methods & Instrumentation,14, 309-313.
Ichikawa, S. 1982 Verbal and visual recall span curves between 1 ms and 1 min. Psychological Research, 44, 269-281.
Ichikawa, S. 1983 Verbal memory span, visual memory span, and their correlations with cognitive tasks. Japanese Psychological Research, 25, 173-180.
Ichikawa,S. 1985 Quantitative and structural factors in the judgment of pattern complexity. Perception & Psychophysics, 38, 101-109.

2.直観的な確率判断
市川伸一 1988 3囚人問題の解決と理解の過程をめぐって.認知科学の発展,1, 1-32. (1989年 日本認知科学会論文賞第1回受賞論文)
Shimojo,S. & Ichikawa,S. 1989 Intuitive reasoning about probability: Theoretical and experimental analyses of the "problem of three prisoners". Cognition, 32, 1-24.
Ichikawa,S. 1989 The role of isomorphic schematic representation in the comprehension of counterintuitive Bayesian problems. Journal of Mathematical Behavior,8, 269-281.
Ichikawa,S. & Takeichi,H. 1990 Erroneous beliefs in estimating posterior probability. Behaviormetrika, 27, 59-73.
市川伸一 1998 確率の理解を探る-3囚人問題とその周辺-.共立出版
市川伸一・下條信輔 2010 3囚人問題の展開と意義をふり返って.認知心理学研究,7,137-145. (日本認知心理学会独創賞第4回 記念招待論文)

3.認知カウンセリング
市川伸一 1989 認知カウンセリングの構想と展開.心理学評論, 32, 421-437.
市川伸一(編著)1993  学習を支える認知カウンセリング-心理学と教育の新たな接点-.ブレーン出版
市川伸一〈編著) 1998 認知カウンセリングから見た学習の相談と指導.ブレーン出版
市川伸一 2000 概念,図式,手続きの言語的記述を促す学習指導----認知カウンセリングの事例を通しての提案と考察.教育心理学研究,48(3), 361-371.
Ichikawa,S. 2005 Cognitive counseling to improve students’ metacognition and cognitive skills. D. W. Shwalb, J. Nakazawa, & B. J. Shwalb (Eds.) Applied Developmental Psychology: Theory, Practice, and Research from Japan. Greenwich, USA: Information Age Publishing.

4.教えて考えさせる授業
市川伸一 2008 「教えて考えさせる授業」を創る-基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」   授業設計-.図書文化
市川伸一(編著) 2013 「教えて考えさせる授業」の挑戦-学ぶ意欲と深い理解を育む授業デザイン-.明治図書
市川伸一 2015 教えて考えさせる算数・数学-深い理解と学びあいを促す新・問題解決学習26事例-.図書文化
市川伸一・植阪友理(編著)2016 最新 教えて考えさせる授業 小学校-深い学びとメタ認知を促す授業プランー.図書文化
市川伸一(編著) 2017 授業からの学校改革-「教えて考えさせる授業」による主体的・対話的で深い習得-.図書文化

5.その他主な著作
市川伸一・矢部富美枝(編著)1985 パ-ソナル・コンピュ-タによる心理学実験入門.ブレ-ン出版
市川伸一・大橋靖雄 1987 SASによるデータ解析入門.東京大学出版会
市川伸一・伊東裕司(編著)1987 認知心理学を知る.ブレーン出版
市川伸一(編著)1993 ネットワークのソフィストたち-「数学は語りうるか」を語る電子討論-.
日本評論社
市川伸一 1994 コンピュータを教育に活かす-「触れ,慣れ,親しむ」を超えて-.頚草書房
市川伸一 1995 学習と教育の心理学.岩波書店
市川伸一 1997 考えることの科学-推論の認知心理学への招待-.中公新書
市川伸一 1998 開かれた学びへの出発-21世紀の学校の役割-.金子書房
市川伸一 2000 勉強法が変わる本-心理学からのアドバイス-.岩波ジュニア新書
市川伸一 2001 学ぶ意欲の心理学.PHP新書
市川伸一 2002 学力低下論争.ちくま新書
市川伸一 2004 学ぶ意欲とスキルを育てる-いま求められる学力向上策-.小学館

(植阪 友理 記)