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筧 一彦

2017年フェロー.
名古屋大学名誉教授,中京大学人工知能高等研究所

このたび日本認知科学会のフェローになられた筧一彦先生を,先生との直接の関わりがあった多くの学生,後輩,同僚の中でも最も言うことを聞かず,最も手を焼かせたはずの自分が,こうして先生のことを紹介させていただくことは,誠に畏れ多いことであると同時に,果たして何をどう書けばいいのか正直わからないというのも偽りのない気持ちである.しかし筧先生が平成6年(1994年)にNTTから名古屋大学に移られ,齋藤洋典先生および現認知科学会会長の三輪和久先生と共に,後に異動された中京大学と並び国内で最初の認知科学を学ぶための講座(大学院)を作られた際の1期生としてこの任をお引き受けすることは,私にとっての責務であると捉えた上で,筧一彦先生を紹介させていただくことにした.

1.音声の知覚と認知
 人間はどのようにして音声言語を理解するのか,という問いがこれまでの筧先生のご研究の根底にある.言い換えると,音声物理の多様性に対する音声知覚の不変性の問題に,筧先生は今日に至るまで挑まれている.そこでまず,このご研究の経緯と進展について時代の流れと共に追ってみたい.
 昭和42年(1967年)に早稲田大学の大学院を修了された後,筧先生は当時の日本電信電話公社(現NTT)電気通信研究所に入所された.当初は半導体送話器(マイク)や電話機回路の設計などハードウェア関連のご研究に従事され,その後,通話品質の評価に関するご研究に取り組まれた.当時,すでに音声認識研究は盛んに行われており,音声信号処理の研究も進展し,PARCORやLSPを始めとする線形予測分析など,さまざまな音声信号の分析・合成,さまざまな処理が可能になっていた.しかしそれらは人間のそれとは比較にならない低いレベルにとどまっていたのも事実である.そこで通話品質の研究に一区切りをつけた筧先生は,次の課題として,人間による音声知覚を情報処理的観点から検討する基礎研究に取り組まれた.
 当時はようやく脳活動を高い時間分解能で観測できるMEGなどの非侵襲的方法を採用できるようになってきており,従来行われてきた心理実験的手法と組み合わせた新しい展開が可能になると筧先生は考えられた.そこで次の3つのアプローチから,人間はどのように音声言語を理解するのかという問いに挑むことにされた.1つ目は従来からの心理実験を主体とするアプローチであり,2つ目は失語症等の言語障害からの神経心理的アプローチ,そして3つ目は音声言語獲得・発達過程からのアプローチである.この3つの柱が,その後の筧先生の音声知覚と認知の問題への取り組みの基調となっている.
 この頃,筧先生は電電公社から民営化されたNTT基礎研究所の首席研究員となっており,ここを人間の音声情報処理の本格的な研究拠点として,現在も国内外の大学で活躍されている音声知覚および音声言語の理解に取り組む多くの(当時は若手の)研究者をメンバーとする研究グループを先導された.また,このNTTの研究グループの研究活動が契機となり,1980年代中期から2000年代にかけてATR(国際電気通信基礎技術研究所)などを中心として,人間の音声情報処理の研究を推進する研究室がいくつか連続して誕生した.
 余談であるが,筆者が博士課程期間の大半および学位取得後の2年間のポスドク期間を過ごしたATR知能映像通信研究所(1995〜2002年)を始め他のATR内の研究所には,実に多くの筧先生に薫陶を受けたNTTご出身の研究員の方々がいらした.これらの方々には日頃兄弟子のように接していただき,多くのご助言や研究の相談に気軽に乗っていただいた.後に述べるが,筧先生を語る上では,ご当人の研究内容もさることながら,筧先生に連なるこの「縁」について述べないわけにはいかない.
 閑話休題.音声言語は時間軸に沿って連続的・線状的に表出されるものであるが,その理解には適切な分節化が行われる必要がある.それによって言語の構造が明らかになり,その理解が可能となる.音声の認知単位はどのように知覚されるかという問題は,現在においても盛んに検討されている領域であり,(日本認知科学会ではあまり多くの研究発表は行われていないようだが)音響信号としての音声情報と知覚結果として得られる意味(記号/表象)との対応関係,およびそこに至る情報処理過程の説明と理解は,認知科学においても重要な課題の一つである.その中で,筧先生は特に聴覚系のモダリティにおいて心的辞書より上位のトップダウンからの影響がない過程,すなわち前語彙的処理過程に着目された.なおこれらのご研究については,筆者の拙い理解を介するよりも,筧先生ご自身が執筆された筧(2015)を直接ご参照いただく方が確実であると考え,本稿ではその説明は割愛させていただく.
 しかしあえて筧先生が取り組んでこられたご研究の成果を端的に述べるとすれば,音声知覚の基本単位は時間範囲の中に分散している音声特徴を知覚的に統合するように構成されることを実証し,これらの処理が前語彙的過程で起きていることを示す音声言語処理過程モデルを通して,認知過程における情報の連続系と離散系とを結ぶ認知科学における重要な課題に新たな指針を与えたことであると言えよう.近年の脳科学研究においてもこのモデルの妥当性を示唆する知見が得られてきており,時代を先駆ける発見をされた筧先生のご慧眼には素直に驚かされる.ちなみに筧先生はこの音声知覚の処理過程におけるロバストなしくみを聴覚の「つじつま合わせ」と呼び,2017年9月13日に行われた第34回日本認知科学会大会(金沢大学)のフェロー講演においても,同演題で音声知覚における知覚的統合過程,特に知覚単位の大きさ,知覚的統合が起こる処理レベルや条件,言語依存性などに関して論じられたので,記憶に新しい読者も少なくないであろう.
 近年の音声言語処理に関する研究は深層学習(ディープラーニング)を抜きには語れない.残念ながら筆者は,筧先生が取り組んでこられたご研究と,現代主流となっている深層学習を取り入れた最新の研究との学術的関係と互いの位置づけについて述べるだけの十分な見識を有していない.したがってこの点についてどうお考になるかは読者に委ねざるを得ないが,筧先生がお示しになった知覚的統合過程に関するモデルにおける「つじつま合わせ」は,深層学習や統計的手法からは気づけない人間の認知の“趣”とその機序の“妙”をまさに象徴している点で非常に興味深く,認知科学の面白さを再認識させる深い洞察であると言えよう.

2.大学教員としての姿
 冒頭でも述べたように筧先生は,平成6年(1994年)に名古屋大学大学院人間情報学研究科社会情報学専攻認知情報論講座の教授の1人としてNTTから単身名古屋に赴任された.同専攻および講座はこの年の4月に1期生の大学院生24名を受け入れ,そのうち6名のさまざまなバックグラウンドをもった学生らが,2名の教授(筧先生,齋藤先生)と1名の助教授(当時)(三輪先生)のもとに集った.当初は学生数も少なかったこともあり,学生6名と担当教員3名が一堂に介したセミナーが定期的に開催されていた(これに加えて連携講座の先生数名も参加されることもあった).ただ名称こそ学生指導のためのセミナーであったが,実質的には先生方が丁々発止と繰り広げる議論に著者ら学生が必死で加わろうとする様相だったと記憶している.また,この講座には故三宅なほみ先生も学外の客員教授として参画されていたため,著者らは中京大学(豊田市)にもしばしば訪問する機会があった.さらにNTTやNTTから大学に移られた筧先生のかつての同僚の方々や国内外の著名な共同研究者などとも広くその研究活動を通して交誼を結ばれており,毎日のようにどなたかが研究室にお越しになって筧先生と議論をされていた.
 なお筆者の記憶が確かならば,たしか筧先生の研究室の壁には,NTT武蔵野通信研究所時代の同僚研究者らと撮った大判の集合写真が飾られていたはずである.そしてこの写真に写っていらした方が名古屋大学に来訪されてからお帰りになった後には,その方の若かりし頃の「武勇伝」を筧先生から楽しく聞かせていただいたことを思い出した.ただしもうその武勇伝の内容は筆者の中では完全に忘却しているので,それに心当たりのある方もぜひご安心いただきたい.
 筆者にとってこのような環境を身近にかつ日常的に体験できたことは非常に新鮮であり,かつ極めて有益な経験であった.大抵学外から来訪される方は何かお土産としてお菓子などを携えてお越しになる.筧先生は頂戴したお菓子をその場で開いてコーヒーや紅茶と共に召し上がりながらお越しになった方とお話しをされる(結構甘いもの好きである).その際,コーヒーや紅茶の準備をそこにいる学生で行うことがある.そのついでに学生はちゃっかり筧先生へのお菓子のご相伴に預かるという段取りであるから,これくらいの労はちっとも厭わない.しかしここで何よりも重要なことは,学生らが目の前で行われている議論への正統的周辺参加を暗黙のうちに許されていた点である.先述の講座のセミナーも同様である.このような環境は,それまで一般的な講義や研究室のゼミ活動を通じた「学生のために行われる研究指導」の場とは,何か本質的な違いがあるように感じられた.また筧先生は滅多に学生に対して具体的な課題を与えない.同時に個人的な指導もあまり積極的にはなさらない.しかしこちらが尋ねたことや相談したことに対して,一通りお聞きになった後,おもむろに「あっ」と目を見開いて(覚まして?),何かを思い出したように話し出される.このコメントが非常に的確であり,かつ誰のどんな研究と繋がる,といったような研究をさらに発展させていくための手掛かりを常に提供してくださるのである.そして今になって思えば,筧先生にとっての研究指導とは,研究者は常に互恵的に研鑽し合う中で成長するという信念に基づかれた実践の中で,自ら学んでいくことの重要性を理解させるということだったのではないかと思うのである.これは教育機関である大学とは異なる企業の研究所での長い研究活動の中で,自然と培われた信念だったのかもしれない.
 話は変わるが,筧先生の講義は誠に恐れ多いことながらほとんど記憶に残っていない.正確に申せば,講義そのものを受けたというメタ記憶は明確にあるのだが,何を講義の中でお話なったのかは全く朧気なのである.わずかに/ape/とか/ate/という単調な音声を聞かされた記憶はあるものの,スピーカから何度も繰り返されているなと思っているうちに毎度のように90分弱の睡眠時間が訪れるのである.なぜあれほどまでに短時間で入眠を誘う講義ができるのか.ただし受講者が寝不足だった,講義の内容が退屈だったり平凡だったりとかいう内容上の理由ではないことは確かである.一方,講義の際の筧先生自身の声質や話速,ポーズ,教室内の音響的な「何かが」この眠気の誘発に大きく寄与していたのでないかと推察しつつ今なおその原因は謎のままである.これこそ筧先生ご自身にいずれ解明して頂きたい課題の1つに挙げられる.

3.人の「縁」を結ぶ力
 筧先生とお話をする機会をもった多くの人は恐らくみな共通の経験をしているはずである.まず,話をしている目の前の当人ではなく,その当人と関係があり,かつ筧先生に面識があったり,何かしらの関係があったりする方がいれば,最初はほぼ間違い無くその第三者の方の話題になる.したがって突然くしゃみが出たら,それはどこかであなたが筧先生に話題にされている可能性が高い.さらに,うっかりしていると筧先生しか知らない人物にまで話題が広がり,話をしに行った人は困惑しながら自信のないあいづちを打つはめになる.その上,話題はしばしば極めてプライベートな内容やゴシップ的なものにまで及ぶことも少なくなく,果たして安易にあいづちを打ってもいいのかどうかさえ不安になってくる.しかしこの会話を後に冷静に鑑みると,いずれそこからの近い将来に,その話題の主になった方がさまざまな経緯でどういうわけか自分の同僚になっていたり,一緒に仕事をしていたりしているのである.
 筧先生と筆者とは研究面での共通点はあまり多くない.したがって必然的に共通の知人はそれほど多くはないはずである.しかし現実には,筆者は筧先生の研究室の壁に飾られていた集合写真の中の方々を始め,日常的によく話題に挙がっていらした方たちと研究や業務を共にすることになったのも事実である.そんなとき,たとえその方たちが初対面の相手だったとしてもそのような感覚は一切なく,まるで以前から親しくしている間柄のように話せてしまうというイリュージョンがその瞬間起きる.それもそのはず,その方たちとは物理的には初対面であっても,筧先生との会話の中ではすでに何度もお会いしているからである.しかもこのイリュージョンは自分だけでなく,相手も同じ経験をしているというのがさらに驚きである.
 この一見偶然のような人と人の「縁」を,ただの雑談のような他愛ない会話を通していつの間にか結んでしまっているというのが筧先生の真骨頂であり,同時にそれを為し得る人と人を結ぶハブとなれる人間的な魅力を備えていらっしゃることは言を俟つまでもない.平成13〜14年度(2001〜2002年度)に,筧先生は日本認知科学会の8代目の会長をお務めになられたが,この重責を担うことになられたのも多分にこの人の「縁」を結ぶ力を日本認知科学会が期待したのではないか,という推測もあながち思い違いだとは言えないのではないかと踏んでいる.
 こういう作文の締めくくりはやはり難しい.仮に筧先生がいかにも現役世代に睨みを効かせているどこかの学会の重鎮のような雰囲気を醸し出していらしたのならば,それ相応のお決まりの文章でまとめた方が無難であろう.しかし筧先生に権威的な重苦しさは皆無である.「先生」と呼んでいるが,企業勤めが長かったこともあってか,実のところ昔からあまり「先生」っぽさも感じられない.普段見慣れた自分の父親をわざわざ世間に紹介しているような気恥ずかしさに似た感覚も少しある.そう思いながら,もしかするとこの一種の心安さこそが筧先生に連なる多くの人々の「縁」を結ぶ力の源泉になっているのではないだろうかと思いを馳せながら,改めてその力のありがたさを実感している.

文献

筧一彦 (2015). 音声知覚の前語彙的処理過程, 認知科学, 22(4), 659-669.
Kakehi, Kato, & Kashino (1996). in “Phonological Structure and Language Processing,” Cutler & Otake (Eds.), de Gruyter.
Dupoux, Kakehi, Hirose, Pallier, & Mehler (1999). Epenthetic Vowels in Japanese: A Perceptual Illusion? J. of Experimental Psychology HPP. 25(6), 1568-1578.
筧 (2006). 言語音声の認知単位, 『月刊言語』, 35(10), 28-35.
筧 (2009). 音声知覚の頑健性 -前語彙的過程を中心として-, Fundamentals Review, 3(1), 9-20.
筧, 廣谷, 持田, 皆川, 辰巳, 渡辺 (2017). 廣谷編, 『聞くと話すの脳科学』, コロナ社.

(竹内 勇剛 記)