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日本認知科学会

入会のご案内

三宅なほみ

2012年フェロー .
東京大学 大学総合教育研究センター 教授 .

三宅なほみ氏のフェロー就任を祝って

人はどこまで賢くなれるものか?ある文化社会に生まれ落ちた人が,その文化の設定したスタンダードに到達することでも,すぐれた先達と同じレベルに達することでもなく,他人との違いを認めながら,しかし互いに影響を与え合って昨日より今日,今日より明日と自分を賢くしてゆくことができるのか?それが,三宅なほみ氏の研究テーマであり,自分自身に課した問いでもあったように思う.私自身が1990 年代半ばから20 年弱拝見してきた間にも共同問題解決,CSCL,ユーザビリティ,協調学習,学習科学,HRL と極めて多岐にわたる研究領域をカバーされてきた氏の研究活動を1 つにまとめるのは至難の業だが,私の知る範囲で上記の問いに対する答えの探索として氏の研究史を提示し,認知科学会員が研究のアイデアを得るヒントにできればと思う.

三宅なほみ氏は東京に生まれ,お茶の水女子大学文教育学部時代に,戸田正直氏の“Possible roles of psychology in the very distant future” (Toda,1971/1982) を読んで,「心理学をやろう」と志したと言う.この著作は,戸田氏が1969 年の国際心理 学会で心理学の将来を語ることを求められた際の講演に基づいている.その内容は,三宅氏の言葉を借りると「世界の人の知の総体によって,一人ひとりに最高品質の自己実現が保証される社会を実現しようとしたら,心の科学をその究極まで発展させるしかない」というものだった.認知科学がそのような「心の科学」になりうると期待し,認知科学をすべての人の常識にして,その判断の質を高めることで,個人も社会も成長できることを目論む三宅氏の原点が,ここに垣間見える.

氏は卒業後,1972 年に東京大学教育学研究科に進学し,本人の弁では「英語の手紙が書けそうというだけの使い走りとして」,日米幼児教育比較研究「東-Hess プロジェクト」に参加した.このプロジェクトは,東京大学東洋氏とスタンフォード大学R. D. Hess 氏という日米の“対等な”研究代表者による学振初の共同研究であり,日本側は波多野誼余夫氏や稲垣佳世子氏,永野重史氏,柏木恵子氏,三宅和夫氏など錚々たる面々を揃えていた.内容は,日米の田舎と都会それぞれにおいて子どもが3 歳 8 カ月時点での母子間の相互作用の在り方がどう違い,それが子どもの就学後の知的発達にどう繋がるかを探るものだった.三宅氏は院生として,パンチカードを使ったコンピュータによる統計処理から,語彙テストの翻訳実施,日米の研究者が文化に合わせて質問項目や課題を翻案することでクリアな結果を出してしまう文化依存性まで,研究の多くの基礎をまさに正統的周辺参加で学んだ.

中でも,自分が担当したリファレンシャルゲームのビデオ分析から,ついたて越しに母親の説明する絵を当てる際,日本の子どもが黙々と絵を選ぶのに対して,アメリカの子どもが頻繁に質問することに印象づけられ,「わからない」と聞くことを悪としない文化の中で,聞き手の積極的な理解構築のために「質問」が果たしている役割に興味を持った. 氏は同じ頃,佐伯胖氏の「擬人的認識論」にも影響を受け,世界に自分の分身(小人)を派遣して,新しい視点から物事を見直すことで対象を深く納得できるという主張に賛同しながらも,「自分はどこに小人を派遣すればよいかがわからない」と困ったそうである.実際,東京理科大学の野田キャンパスに佐伯氏を訪ねてこの疑問を投げかけ,返答を得られなかったことで,「この先は自分でやらなきゃいけないのね」と感じたと言う.小人の派遣先がわかるということは,自分のわからないところがわかるということ-それは人がどうやって疑問を持てるかを研究することで明らかにできるのではないか.この発想から,後の疑問研究が生まれる.

三宅なほみ氏は,1977 年,夫の芳雄氏と共にアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校に留学する.所属したのは,心理学科のDonald A. Norman 氏やDavid E. Rumelhart 氏,James L. Mc Clelland 氏が三人で主催し,Edwin Hutchins 氏やGeoffrey Hinton 氏がポスドクを務める研究室で,当時全米に4 つ設けられた認知科学の新拠点の1 つだった.リサーチ・ミーティングでは,少し前に出版された,知識表現のモデル化や文章理解,質問応答への応用について論じた“Explorations in cognition”の執筆陣が頻繁に出入りしていた.まさに認知科学が生まれ出る場に居合わせた感がある.その中で三宅氏は,発問の研究をやりたいとNorman 氏に申し出る.難しいからやめた方がいいというNorman 氏の反対にも関わらず,氏は次のような簡単な実験をデザインして,人はいつ質問をするのかについてのクリアな結果を得る.コンピュータエディターのマニュアルの易しいものと難しいものを1 種類ずつ用意して,実験参加者に1 ページ ずつ読ませて質問があるかを聞く.その際,参加者の半数には予め違うエディターで練習させて少し知識を与え,残り半数には与えない.その上で質問数を測ると,予習した参加者が難しいマニュアルを読んだ時と予習しなかった参加者が易しいものを読んだ時に質問が出やすかった.つまり,既有知識と情報量が釣り合って,何がわからないかがわかる程度に知識があった時に質問は生まれやすいことを示した(Miyake & Norman, 1979).

しかし,三宅氏は,統制実験のきれいな結果に飽き足らず,具体的に質問がどのように生まれるのかのプロセスを探ろうとした.そこで,当時はまだ珍しかった「二人の人に話し合いながら問題を解いてもらう」という研究手法を採用した.博士論文ではさまざまな問題を試したが,最も有名なのは「ミシンの縫い目がなぜできるか」という問題だろう.ミシンは魔法の機械だと言う院生と「ミシンのことは良くわかっている」と請け負う研究助手など3 ペアに納得行くまで話し合ってもらったところ,最初は「上糸と下糸が絡み合って縫い目ができる」というレベルの説明だったのが,「端の無い2 本の糸がどう絡み合うのか」という疑問や,「ボビンが糸の端の役割を担っているのだとするとそのボビンは本体にどう取り付けられているのか」というさらなる疑問が生まれて,どのペアも2,3 時間会話が続いた.ミシンの機能と機構の理解レベルに沿って発話を分析したところ,あるレベルの理解が次のレベルの不理解に繋がること,つまり,少しわかってくると次の疑問が生まれ,その疑問が解けると次のレベルのわからないことが出てくる形で,理解が螺旋的に─原理的には無限に─続く姿が見えてきた.また,ミシンをどこから見ているかという参加者の概念的な視点が,本人が理解していると感じている時は安定し,そうでない時は不安定になることも示した.理解している状態が認知リソースの余裕を生んで次のレベルの視点の探索(小人の派遣) を可能にするのか,積極的な探索が視点の安定を壊すのかは定かではないが,理解プロセスを示唆するリアルなデータによって修士時代に抱いた疑問が少しは具体的に検討できる感触を得たと言う. 二人の人に話してもらう手法は,一人ひとりの理解プロセスの研究法であると同時に,理解深化の支援ともなる.氏が後に「あの論文はtwisted だった」と述懐するように,上記をまとめた“Constructive 414 Cognitive Studies Dec. 2012 interaction and the iterative process of understanding” (Miyake, 1986) は,二人で問題を解くことの効果を考察のセクションで検証している.同じ問題を解いていても二人が疑問を抱くタイミングやその答えを理解する過程,到達点として作られる説明が異なること,よりわかっていない人の批判がわかっている人の理解深化に役立つこと,問題解決に積極的に従事する課題遂行者に対して,それをモニターしている者の方が飛躍的な提案を行うことなどをまとめて,氏は「建設的相互作用」という考え方を提案した.人が一人で考えている時には,自らの知識を総動員して自分なりの問いを設定し答えを考えているため,その妥当性をチェックするリソースが残っていない.これに対し,考えを聞いてくれる他者がいると再検討のチャンスが生まれ,しかも,聞き手は話し手の思考過程を同じ詳細度では共有できないので不同意や批判を行いやすく,それが話し手の再考を促す.このように相互作用を通して新しい考えが生まれ続けるメカニズムを建設的相互作用と呼び,氏は,その一般化可能性をさまざまな文脈で探り始める.

人と人の間の「違い」はどの程度大きい方がよいのかを検討したのが,CSCL 研究の先駆とも言えるInterCultural Learning Network プロジェクトである.このプロジェクトは,三宅氏がアメリカから帰国し青山学院女子短期大学に就職する前後の1984 年から91 年頃まで,Moshe Cohen 氏,Margaret Riel 氏やJames Levin 氏と共に,東京,アラスカ,イリノイ,イスラエルの学校をインターネットで繋ぎ,1m の棒の南中時の影の長さや竹取物語の結末の予測などさまざまな課題を共有して,問題の解き方そのもの,データやその解釈,答えの価値づけを交換する試みだった.教室の壁を越え,異なる文化の異なる視点に触れた子どもたちが自分の考えや文化を見直すことができるか,大きく言えば,単なる文化の共存や比較ではなく,互いが互いの考え方に影響を与える文化間の相互作用は可能かという試みだったとも言える(三宅, 1997). この頃,三宅氏は,Mike Cole 氏やJean Lave 氏,Hutchins 氏らの文化と認知や状況的認知,社会的分散認知といった考え方を日本にいち早く紹介する役割も担った(三宅, 1982).その影響は同時に,氏自身の研究の単位を人と道具や教室など状況との相互作用に拡げてゆくことにも役立った.

1991 年,戸田氏が設立を先導した中京大学情報科学部認知科学科に着任後,思考過程の外化と共有,再吟味をコア概念に,共同問題解決研究と,テクノロジを用いた思考支援研究を展開する.さまざまな課題のペアとソロの成績差から,協調が建設的に働く条件として「互いの思考が見えやすく」かつ「視野の狭い途中結果の正誤チェックを避けられること」という2 つを同定した(三宅, 2000).折り紙の3/4 の2/3 を示す課題のソロとペアの解決過程からは,一人で課題遂行するだけではその視点に沿った外界把握が起きやすいが,二人いると課題遂行者の見方がモニターに共有できないことを通じて段階的に二人の外界把握が抽象化することを示した(Shirouzu,Miyake & Masukawa, 2002).ミシン研究では頻繁には見られなかった課題遂行者とモニターの役割交替が,外的表象に対する見立てを介してシステマティックに起こることを示して,建設的相互作用原理の説明を進めると共に教育現場への適用可能性も高めた.一方で,一人であっても,文章を一気に読むのではなく段落ごとに止まって考えるStop & Think 法で批判的に読めること(三宅, 1991),文章内容を付箋で二次元配置することで構造を掴み易くなること,ハノイの塔問題も言語化で再帰構造を捉え易くなること(三宅・落合・新木, 1998) など,思考の内省的再吟味を促す手法を次々試した.以上は,状況に支えられた─その意味で状況論が示唆するような─認知と,その認知活動を自分で見直して─状況を対象化して─内省する仕組みや手法を考えようとした研究だったとまとめられる.

三宅氏は波多野氏と共に,制約が支援と制限の二面性を持つという主張も行っているが(三宅・波多野, 1991),通底するのは,状況の支援を受けつつその制限性を乗り越える人の内的でメタ認知的な知識の働きへの期待である.日常的認知や状況論を日本に紹介しながらも,知識表象の否定に走らなかった二人のユニークな「状況論」だと言えるだろう. 1990 年代後半から,上記の要素技術を学部授業に組み込み,協調的な学習活動と組み合わせることで,建設的相互作用を教室で引き起こせるかという実践的で工学的な学習研究を手がける.2 つの文献資料の関連性をそれぞれの資料から眺めるとどう違うかを概念地図化するツールReCoNote (益川,1999),文献資料や講義録を一行ずつ表示してコメンタブルにすることで多様な意見を引き出し議論を拡げるツールIQ-Raiser など,本人が「電子文房具」と呼ぶツールを開発しては検証した. そして1999 年,学習科学の牽引者Ann L. Brown 氏の訃報に触れ,本人も用い始めていたジグソー学習法を本格的に理解深化型の教育場面で活用することを決意する.対象学年を上級生から1,2 年に下ろし,異なる資料を分担して交換するだけの社会心理学者Aronson のジグソー法に,Brown 氏同様「問い」を持ち込んで部品となる資料内容を統合すれば答えが出る構造にして,分担する資料のサイズも本1 冊や1 章からA3,果てはA4 両面に落とした上で,「知能とは何か」,「賢さを自発的に育てる方法とは」,「熟達化とはどのような過程か」,「人の問題解決,知識表象,社会文化的認知の特徴を踏まえると,自分の認知過程をどうモデル化できるか」など認知科学の重要な問いに取り組ませた.ジグソー活動の形態も,3 資料を1 授業内で交換させて明示的な統合を狙う「単純ジグソー」から,領域と研究法でマトリックス化した資料を複数授業で交換させて多視点の統合を促す「構造化ジグソー」,ゆるやかな領域で括られた30 余の資料を1 学期間掛けて交換させて問い自体の創発を狙う「ダイナミックジグソー」など多種類開発し有機的に組み合わせた(Miyake & Shirouzu, 2006).学習評価についても,半年や1 年など極めて長期経過後の回顧型インタビューや毎週の授業並行型インタビュー,概念地図ツールログ,学生の会話や概念地図ツール利用を記録できるタブレットPC アプリなどで多面的に行った.その結果,自分の担当資料だけを詳細に説明できるレベルから仲間の資料との関連づけを行えるレベルに引き上げるための支援や,資料読解の前にそもそも自分で問題を解いてみる体験の必要性などが見えてきた. そこから,入学後2 年間4 セメスターをかけて認知科学を学ぶ「スーパーカリキュラム」が創発的に構築された.認知科学の古典パズルを解く体験学習から始め,単純ジグソーや付箋による概念地図作成を経て,ReCoNote を用いたダイナミックジグソーに至るまで,段階的に協調学習経験を蓄積するカリキュラムである.このカリキュラムを10 年弱に亘って修正改善しながら繰り返すことによって,初学者が2 年間で専門領域をいかに学んでゆくかという長期縦断研究や,同一授業の年度間比較研究が可能になる.このデザイン研究を通して,学習者一人 ひとりの学習過程や成果の多様性(Miyake, 2005),十全な学習過程が成り立つために必要な学習時間と繰り返し(三宅, 2006),豊富な具体的経験とそれに対する協調的内省の必要性(白水・三宅, 2009) が示唆された.さらに,実践最大の狙いである「学習者が建設的相互作用に従事しながら認知科学について学び,その体験を基に自分たちをより賢くしてゆける協調的な学習スキルを獲得する」という目標に関しては,前者の学習自体はある程度達成できたものの,そのメタ学習はさらに工夫が必要なことも見えてきた.

同時に氏は,デザイン研究が学習者同士の話し合いなど,コントロールできない創発的な協調活動を基に知見を導かざるを得ないことへの方法論上の限界も感じていた. この2000 年代,三宅氏は,日本に精力的に学習科学を紹介しつつ(三宅, 2006; 三宅・白水, 2003),中京大学での実践成果も携えてICLS,CSCL,AERA など学習科学系の会議で急速に自らのvisibility を上げていく.2003 年のInternational Society of Learning Sciences 発足の発起人となり,2007 年には同学会の会長を務めた.しかし,氏は認知科学から学習科学に専門を鞍替えするのではなく,CogSci にも日本認知科学会にも常に新しい問いや知見を提供して両者の互恵関係の推進を図った.これら2 つの領域のオーディエンスに対する知見の整理が影響したかは定かではないが,2000 年代後半に入ると,学習ゴールの見直しや協調的な概念変化モデルの構築(Miyake, 2008) など,学習理論の再検討を進める.「学んだ場以外に持ち出せて(portable),必要な時に使え(dependable),作り変えつつ維持できる(sustainable)」知識の構築を学習ゴールとして,そのために学習者の日常経験ベースの素朴概念を共有吟味して科学者の原理原則とも結びつけて抽象化し変化させるというモデルを構想する.状況に支えられた認知の協調的な内省によって,知識を得ることが次の疑問や学びに繋がる—この一連の学習プロセスが建設的相互作用によって駆動されるというモデルである.

2008 年から東京大学の大学発教育コンソーシアム推進機構(CoREF) に異動し,これまでの集大成となるかのような教育実践と理論の融合を目指した実践研究を開始する.建設的相互作用を介した概念変化や知識統合を全国の小中高の教室で引き起こすために,1 つの明確な問いに3 つ程度の少数資料で 416 Cognitive Studies Dec. 2012 答えを出す「知識構成型ジグソー法」を「型」として提供し,学習指導要領の要求や教科書の内容を変えないままでも学習者を中心に据えた協調型の授業が校種や教科を問わず実施可能なこと,多様な学力レベルや協調活動への慣れにも関わらず,一人ひとりが理解を深め,知識を獲得し,次の学びに繋がる多様な疑問を出せることを示しつつある.3 年目の現在もプロジェクトに参加する地域や学校は増え続けている(http://coref.u-tokyo.ac.jp/).三宅氏が今この実践に夢中になっている1 つの理由は,ここに来て漸く,氏が自分で授業を作るのではなく,先生方が自発的に建設的相互作用を引き起こす授業を作る基盤ができ,こうした動きに一部の産業界,文部科学省や教育委員会など行政が関心を示し始めて,認知科学が少しずつ現実社会に話しかけることができつつあるように見えることだと言う.この対話をより実効的にするべく,三宅(2011) では,ジグソーの学習プロセスを詳細に分析し,「ずっと欲しかった」と言う仮説実験授業の縦断データの分析(Saito & Miyake, 2011) とも合わせて,建設的相互作用論の一般性を検討している.同時に,創発的な協調活動頼みだった学習理論の質を引き上げるため,遠隔操作可能なロボットをジグソー活動のパートナーとして導入し,提供する説明のレベルや話し合いの型をコントロールして,その効果をプロセスから解明する新学術領域「人ロボット共生学」も始めた(三宅, 2012).ロボットというインターフェイスを間に挟むことによって,操作者が学習状況を「脱状況」化して内省できる利点も見出し,教師教育への応用を目指している. 以上の足跡を振り返ると,三宅氏の特徴の1 つとして,共同問題解決や協調学習,人ロボット共生学といったイノベーティブな方法論がどれも「調べたいことを何とか調べられないか」という徹底的な模索から生まれてきた点が挙げられる.そこで調べたかったことは,常に「理解」,特に,小人が飛ばせない自らの悩みに始まり,小学生がジグソーを通して抱く,教科書も指導要領も超えた疑問まで,個人が自らの今の理解を超えるための「疑問」をどう生みだすかだった.このたった1 つのテーマへのpersistency が2 点目の特徴だろう.1 点目の方法論の創出も,自らこの過程を実践している感がある.そして,疑問は,一人でいる時より誰かが傍にいる時の方が出やすい.この社会性が氏の3 点目で,か つ最大の特徴だと言えるだろう.ただし,氏と「協調」というラベルを結びつけることは容易いが,その意味の了解は難しい.協調が人を賢くする理由として,科学や文化が持つスタンダードへの収斂圧力や個人が持つ知的好奇心への動機付けを想定し,その動因が全ての成員に一様に働くと考えるモデルは了解し易い.しかし,建設的相互作用論は,生身の人間同士の相互作用から生まれる異なる役割,異なる視点,異なる理解レベルが一人ひとりの理解を深めると想定する.当然,そのモデルは動的で不安定で,成員次第という側面を含む.社会の成員が「互いの考えが違っても話し合うことでそれぞれにゲインがある」と考えるかどうかで,建設的相互作用の起き易さも変わるだろう.その点で氏の研究の妥当性は,新しいリアリティを創り上げられるか-冒頭の問いに戻れば「私たちはどこまでも賢くなれる」という答えを出すために社会を変えられるか-に掛かっている.疑問を持って理解を深める主体が自分自身からミシンの縫い目について考える院生や研究助手,ジグソーに携わる大学生や小中校生,授業をデザインする先生自身へと広がったように,研究活動自体が現実に生きる人を巻き込んで拡大することが実証に必要なのである. 認知科学という賢さの質を根源的に上げるための知を,人と人のネットワークを介して受け渡し一人ひとりにとっての「常識」にすること-それが三宅氏の願いであり,そのための徹底的にインタラクティブで社会的な研究展開が氏の最大の特徴ではないか.認知科学会がその展開の在り方を評価されたのであれば,非常に嬉しく思う.認知科学が今ある現状-actuality -ではなく,これから生み出すべき姿-potentiality -についての科学となれるよう,私自身も尽力したい.

謝辞 本稿作成にあたり,ここには書き切れない方のご協力を得た.紙幅上,そのご意見を含められなかったことをお詫びすると共に,記して感謝する.

参考文献

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(白水始 記)