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: 2. 研究手続き : 科学者による問題の定式化 そのタイプ分けと研究履歴との対応 : 科学者による問題の定式化 そのタイプ分けと研究履歴との対応



1. はじめに

1.1 科学社会学と認知科学の統合的アプローチ

今日では,科学の扱う対象やその方法論は多様に細分化されている.他方で, その細分化された一つの科学だけでは捉えきれない複合領域的 (interdisciplinary) な問題が存在するのも事実である.そのような問題に 対して学際的な共同研究が行われる際,協調活動による問題解決の展開は, 認知科学における興味深いテーマの一つである (植田・丹羽, 1996).さて, これらの協調活動を分析する際,科学者による思考プロセスがその人の専門 などに応じて独特なもの (unique) であると強く感じられることがある. このような思考プロセスにおける傾向は,彼らの個性以上に各人の研究 履歴 (background)1を反映した結果 であると予想される (例えば (Fujigaki, 1997; Fujigaki, 1998)).

従来,科学者の思考に関する研究は,科学社会学を中心に行われてきた. 科学社会学における研究には,科学知識の生産活動をその論文生産から明 らかにする引用分析 (citation analysis) を利用した定量的な研究や,参与 観察 (participant observation) による,科学者の実際の活動に関する 研究 (例えば (Latour & Woolgar, 1986; Lynch, 1985; Shinn, 1982)) など, いくつかの潮流が ある.これらの研究の中には,科学者の研究履歴がいかに科学知識を制約 するかを明らかにするのを目的とした研究が存在する.例えば,社会的状況と 知識生産の結び付きを諸科学の特性 (数理−公理主義) を踏まえて考察した Whitley (1977) や,科学の理念や特性といった静的な知識形態の分類に加えて, ジャーナル共同体2を単位とした動的な科学者の行動に着目した藤垣 (1995) の 研究などが挙げられる.しかしそれらの研究における中心的なテーマは,科学者 による思考の実態の把握というよりはむしろ,科学知識の生産・蓄積における 社会的関係の役割の把握であり,認知的な科学知識の産出プロセスや科学者 個人の思考プロセスそのものを調べることが目的ではない.つまりこれら科学 社会学の研究には,科学者個人の思考プロセスがいかなるもので,それと科学 固有の特性がどのような相互作用を持つのかといった微視的な視点,いわば 認知科学的な視点が欠けていると考えられる.

これに対して,最近認知科学的な視点から科学者の思考それ自体を直接の研究 対象とする研究が出現してきた.例えば,Dunbar (1997) による科学者集団内の 共同作業が個々人の推論プロセスに与える影響を参与観察によって調べた研究や, 植田による科学者の仮説形成における類推の使用を調べ,それをいくつかの タイプに分類したもの (Ueda, 1997; 植田, 1999) などが挙げられる.本研究は これらの研究のように,より微視的に科学者個々人による思考プロセスのタイプ の同定を行う一方で,科学社会学的な視点をも導入し,タイプ分けした思考 プロセスが科学者の研究履歴の中のいかなる要素と対応関係をもつのかを 明らかにすることを目的としている.

1.2 思考プロセスの何に着目するのか?

一般に問題解決の心的プロセスは,問題を設定したり,与えられた問題を自分が 取り組みやすい具体的な問題に言い替えるプロセス,つまり問題の定式化 プロセス (problem formulation process) と,そこで捉え直した問題を実際に 解決していく プロセス,すなわち問題の解決プロセス (problem solving process) の,両者の循環 からなると考えられる.従来の認知科学における問題解決研究の多くは,パズルや 数学の問題を解くときのように,ある決まった演算子の組合せ (方略) を調べると いった類の問題解決プロセスに着目したものが多かった.前述のDunbar (1997) や 植田 (Ueda, 1997; 植田, 1999) の研究もまた,複雑な科学的発見を対象にして はいるが,主に問題の解決プロセスを対象とした研究である.これに対し問題の 定式化プロセスを観察するためには,目的や手段などが明らかでない,より制約の 弱い漠然とした課題を扱う必要があり,その分析は非常に困難となる.そのため, 問題の定式化プロセスを分析対象とした先行研究は極めて少なく,それを分析する ための方法論も確立されていない.実験的研究としては例外的に問題の定式化 プロセスを扱った研究は鈴木らの研究 (鈴木・福田, 1985; 鈴木, 1985) であるが, その研究の中でも示唆されているように,問題の定式化プロセスは被験者の研究 履歴の影響を強く受けると予想される.ただし彼らの研究の中では,各被験者の 定式化プロセスにおける特徴と彼らの研究履歴との対応関係が具体的に示されて いるわけではない.というのも彼らの研究目的は,問題の定式化プロセスという 思考プロセス自体の解明であり,思考プロセスと研究履歴との関係を調べること ではないからである.

これに対し本研究では,十分に研究経験を積んだ「多様な科学者」を対象として,彼ら の「問題の定式化プロセス」とその「研究履歴」との関連を,具体的に分析することを 目的としている.具体的には,多様な研究履歴を持つ研究者を被験者として,彼らが 研究する可能性のある一つの複合領域的なテーマを提示した.そこで,そのテーマに ついて研究を行うという仮想的な状況を設定し,被験者となる研究者に研究計画を立案 してもらった.その際のプロトコルを分析することで,彼らの「問題の定式化 プロセス」を分析した.また「問題の定式化プロセス」を調べる実験とは別個に, アンケート調査を行うことによって彼らの「研究履歴」を調査し,科学者の 「思考プロセス」(ここでは,問題の定式化プロセス)との関係を調べた.



日本認知科学会論文誌『認知科学』