ゲーム・プレイヤのエクスパティーズ
囲碁の認知科学的研究
吉川厚・斉藤康己 (NTT基礎研究所)

はじめに
本稿では、今までに行なわれた数少ない囲碁に関する認知科学的な研究を概観し、併せて我々が最近進めている研究から今までに得られた成果を紹介する事にする。
囲碁の認知科学的研究

EisenstadtとKareevの研究

彼らの研究は、五目並べと囲碁という二つのゲームを利用して、主に盤面の知覚レベルの処理に使われる盤面状況の内部表現と、仮想的な状態(先読みの結果など)がどのように内部表現されているのかを調べたものである[1]。
彼らは先ず、9路盤を使って、五目並べと囲碁とではプレイヤが見ているもの(Subjective Organization, 主観的な構成)が違うということを実証的に示した。これは全く同じ盤面を90度回転し石の色を反転させて、片方は五目並べの盤面で、片方は囲碁の盤面であると教示して、被験者に分析させるという巧妙な実験であった。その結果、五目並べの盤面だと思うと五目並べにとって重要な石がよりよく記憶され、囲碁だと思うと、囲碁にとって重要な石が記憶されるという現象が生じた。
彼らの研究は、その実験方法もユニークで、初期の研究としては、囲碁(と五目並べ)を取り上げているということで注目に値するが、盤面の認識と、そのための内部表現という側面のみが対象で、評価とか候補手の生成などという問題は扱っていない。

J. S. Reitmanの研究
彼女の研究はチェスにおいてChaseとSimonが行なった研究[2]を囲碁に焼き直したものであった。ChaseとSimonは、反応時間のポーズ(間)を利用してエキスパートと初心者が盤面を認識するときのチャンクの大きさに大きな違いがあることを明らかにした。J. S. Reitmanの研究では、チェスにおけるChaseとSimonのようにエキスパートの方がより大きなチャンクを捉えているという結果はでなかったが、逆にその原因として、囲碁プレイヤーによる盤面のチャンキングはオーバラップしているのではないかという仮説を提示している。

斉藤・吉川の研究
我々は数年前に囲碁の認知科学的研究をスタートした[4][5]。我々の研究の目的は、囲碁プログラムが初心者レベル(10級程度)に留まっている原因を究明し、将来の囲碁プログラム作りに役立つような知見を得ることにある。そのために人間の囲碁プレイのプロセスを認知科学的に解明しようとしている。またそれによって、人間のパターン認識、パターン認識と言語の関係、高度なスキルの学習など、AIや認知科学の基本的な課題にも光を当てようと考えている。

候補手選出プロセス -> 候補手検討プロセス

我々は上図のような単純なモデルを作業仮説として、左の箱の解明に主にアイカメラを、右の箱の解明にはプロトコル分析を使った実験を行なっている。囲碁のプロトコルは、別々の部屋に置いた端末を通して二人の被験者に対戦してもらい、手を考えながら喋ってもらった発話を文字に起こしたものである。プロトコル分析から以下のような知見が得られた[6][7]:
1.言語レベルで評価、意図理解、プランニングなどをしている。
2.自分の番に考慮する候補手の数は平均1.5ときわめて少ない。これらの候補手は非常に速く生成されるのでパターンに基づく処理で生成されているように見える。
3.評価は、先読みをしない速い評価(全体の8割)と先読みを含む時間のかかる評価(残りの2割)に分けられる。
4.先読みはほとんど直線的で分岐数がきわめて小さい。この意味で計算機の探索とは非常に異なる。先読みの深さは1から11まで分布し、その平均は4程度である。
5.先読みの終点での評価もパターンに基づくもの(形、模様など)と、相手の意図、自分の意図、いくつもの目的の相互作用のような言語レベルの評価に分類できる。
6.上級者同士の対局全体のほぼ8割の手で、両者の「相手の意図の理解」が相互に一致している。%逆に、初心者ではこのような「対話」が成立しない。

アイカメラを用いた実験、特に詰碁の実験[8][9][10]からは以下のようなことが分かってきている:

1.石と石の境目に目が行く。時間圧下の詰碁を解くときには石の上にも目が行く。
2.着手後は見ている範囲が広い。逆に着手前は範囲が狭い。
3.強いプレイヤは4秒という短い時間圧の下でも6割の問題に正解することができる。
4.強いプレイヤが正解するときには、数百ミリ秒という短い時間で目が正解に停留する。逆に間違えるときには目があちこちを動き回る。
5.強いプレイヤは沢山の詰碁パターン知識を持っていて、それを利用して速く答えている。知らないパターンが来ると先読みを始めるが時間が無いので、失敗するという解釈が成り立ち、実際の被験者の事後報告もこれと一致する。

Burmeister等の研究
Burmeister等[11]はある与えられた盤面の状況で、単純な石のパターンの認識(知覚レベルの処理)と高次の性質の認識(認知レベルの処理)の関係に興味を持っていて、それに関するいくつかの理論を提案している。例えば、桂馬に置かれた二つの石がつながっているかいないかという知覚レベルの認識は、実はその桂馬を切りに行ったときにシチョウ\footnote{次々に当り当りと相手の石群を追いかけていき、最後に取ってしまう手段のこと。}関係がどうなっているかに依存している。従って、シチョウが成り立つかどうかという認知レベルの知識が知覚レベルの認識に影響を与えるのだという主張である。実際に知覚レベルの認識のモデルとして単純なポテンシャル関数による方法を想定し、認知レベルの知識の影響の仕方を各種試みて、もっともらしいのはどれかという議論を行なっている。彼らの研究で興味深いのは、高次の認知的な知識をどうやって知覚レベルの表現に組み込むかという通常とは逆のアプローチを取っていることである。
今後の課題
候補手選出プロセス(左の箱)の内容をさらに詳しく調べること。どうやってごく少数の良い候補手のみを生成しているのか?
囲碁の学習によって何が獲得されるかの分析。強いプレイヤと弱いプレイヤで何が違うかの分析。
パターン・レベルの処理と言語レベルの処理・推論の関係をさらに詳しく調べていくこと。
処理に使われる具体的なパターン知識やルール知識を数え上げること。それらの全体の量を推定すること(知識量の推定問題)。
プロを被験者とした実験を行い、プロとアマチュアの違いを調べること。

参考文献
[1]Eisenstadt, M., and Kareev, Y.: Aspects of human problem solving: The use of internal representations., in D. A. Norman and D. E. Rumelhart(eds.) Explorations in Cognition, pp.308--346, (1975).
[2]Chase, W. G. & Simon, H. A. : Perception in Chess, Cognitive Psychology, Vol.4, pp.55-81, (1973).
[3]Chase, W. G. & Simon, H. A.: The Mind's Eye in Chess, in W. G. Chase(ed.) Visual Information Processing, Academic Press, (1973).
[4]斉藤康己, 吉川厚: 囲碁プログラムを強くするにはどうしたらよいか?, 情報処理学会人工知能研究会資料、SIGAI, No.91-7, (1993).
[5]吉川厚, 斉藤康己: 囲碁における盤面状況の認知, 情報処理学会人工知能研究会資料、SIGAI, No.91-6, (1993).
[6]斉藤康己, 吉川厚: 囲碁に関する認知的研究, Proc. of the Game Programming Workshop in Japan, Hakone, pp.44-55, (1994).
[7]Saito, Y. and Yoshikawa, A. : Do Go Players think in words?, Proc. of the 2nd Game Programming Workshop, pp.118-127, (1995).
[8]吉川厚, 斉藤康己: 囲碁における盤面認識の研究, 日本認知科学会第12回大会論文集、pp.100-101, (1995a).
[9]吉川厚, 斉藤康己: 候補手のすばやい認識について, Proc. of the 2nd Game Programming Workshop, pp.105-112, (1995b).
[10]吉川厚, 斉藤康己: 4秒時間圧下での詰碁問題の認識, 日本認知科学会第13回大会論文集、(1996).
[11]Burmeister, J. and Wiles, J. : The Integration of Cognitive Knowledge into Perceptual Representations in Computer Go, Proc. of the 2nd Game Programming Workshop, pp.85-94, (1995).

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