ゲーム・プレイヤのエクスパティーズ
パネリストの紹介
岡本浩一 (東洋英和女学院大学)

リスクに関係した社会的認知と意志決定をプロパーの研究領域としていますが、将棋の思考には昔から興味をもっています。とくに、将棋の思考で棋士に共通の思考と棋士によって個性のある思考があることに昔から興味をもち、「十一人の棋風」(ブレーン出版)では、ロールシャッハ検査によって棋士の思考の個性に迫ろうとしました。
指し将棋の現在のプログラムのシステムで、人間の思考の原則と大きく異なっていると考えられることのひとつは形勢判断の方式である。

静的評価関数による形勢判断について
現在、静的評価関数は、所与の局面の駒数や駒の位置などいくつかの判断要素の積和を基本とする多項式で行われているが、棋士はほとんどそのような思考様式をとらない。棋士の思考は以下のようなものである。
(1)まず、棋士の記憶のなかには、着手の「価値」が単純な辞書のような形で把持されている。辞書の単位は、せいぜい3手一組か5手一組くらいの長さである(飛車を打ち下ろされたのに対して金底の歩を打つ、24、25に継ぎ歩をする、歩を手持ちにした筋の7段目に歩を打つなど、多くのものは記憶によっていいか悪いか判断される)。本稿ではこれを「着手の評価」という。
(2)棋士の記憶のなかには、序盤の分かれの局面で形勢互角の局面、やや悪い局面、ややよい局面が(数は多いものの)有限個数記憶されている。
(3)棋士は、所与の局面に近い局面で形勢が既知のものを選び、そこから先手後手の手の交換によって、現在の局面に至る道程を割り出し、その道程の着手の経緯を(1)の辞書によって評価して形勢判断をしている。これを複数の近似局面、複数道程について行うことがある。
(4)中盤の最後では、双方が独立に敵玉に(比較的平凡な手順で)まっしぐらに迫った場合に、どちらが先に敵玉を詰めるかを計算することを複数手順繰り返した場合の勝敗判断を基準にし、そこに至る着手の価値を(1)の辞書によって減算し、現在の局面の判断をしている場合がある。
(5)上の(3)も(4)も有効に用い得ない局面が若干存在する。それは複数道程による(3)の判断、複数道程による(4)の判断結果の一致度が低い場合である。そのような場合、現在用いられている静的評価関数に近い判断システムが用いられる可能性があるが、そのような場合でも、いくつかの特徴抽出的な判断基準が存在する(歩切れなら悪いなど)。

いずれにせよ、静的評価関数のような思考が用いられる頻度は低く、上記のような方式が棋士の形勢判断の大要であることについて以下の傍証をあげることができる。
(1)棋士は対局中にしばしば棋譜を見る。形勢判断が目の前の局面に依存するなら、そのようなことは不必要である。棋譜を見ることで、仕掛けの局面(評価は対局前から持っている)の後の着手の価値の算数をしているのである。
(2)次の一手の問題を解くとき、しばしば、どの定跡のどの局面からその問題の局面ができたのかを考えることがある。
(3)ランダムな局面の形勢判断のほうが、定跡に近い局面の形勢判断より時間がかかる。
(4)棋士の語彙に形勢判断をあらわす語は少ないが、手の価値をあらわす語は豊かである(手がしなる、手がちじむ、我慢の一手、見る聞くなし、二枚換え、桂先の銀、馬引きは金銀3枚、飛車のカラ成りは悪い)。

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