スマートフォン表示をOFFにする

日本認知科学会

入会のご案内

佐伯胖

2012年フェロー.
青山学院大学教授

佐伯胖氏は1939年岐阜県に生まれた.大阪府立北野高校を卒業後に,1959に慶応義塾大学工学部管理工学科に入学した.入学前も入学後も,人間の探究と理工学的な方法や見方を両立すべく,もがいていた.理工系への進学を決めようとしていたこの時期に,霜山徳爾氏(当時上智大学),村井実氏(当時慶応義塾大学)という心理学,教育学を代表する学者との出会いの中で,理工学的アプローチを用いながら人間を探究するという,認知科学スピリットが佐伯氏の中で芽生えてくる.

同学科を1964年に卒業,大学院に進学し修士課程修了後,1968年から米国ワシントン大学大学院に進学した.この時期,佐伯氏は効用判断が目標や文脈によって変化する現象に注目し,これを多属性効用関数における重要度(重み)の動的割り当てとして捉える数理心理学的研究を進めた.この研究をまとめて学位論文として提出し,博士号(Ph.D.inPsychology)を授与されている.この一部は2つの英文誌に掲載されている(Sayeki, 1972; Sayeki & Vesper, 1973).

学位取得後,1年間の博士研究員を経て,1971年に東京理科大学理工学部経営工学科助教授として帰国する.理科大においては,博士論文で取り上げた意思決定研究のさらなる展開が始まる.この研究の成果は,『「きめ方」の論理:社会的決定論への招待』にまとめられることになる.これは経済学,心理学,倫理学,数学などの当時の最先端の知見との批判的対話を通して,決定の合理性,倫理性,自由を論じるという稀有の著作である.この著作を通して,読者は選択にかかわる常識(選択の無制限性,パレート最適性,推移律等)が覆されていくこと,また決定には開放性や他者,社会への配慮が必要であることなどを知り,大きな知的興奮を覚えることになる.加えて,この知的冒険を支える氏の卓越した知性と,並外れた勇気も,多くのものの心を揺さぶる.

またこの時期,佐伯氏は同僚の溝口文雄氏らと認知科学会の設立に向けた旺盛な活動を行うことになる.Donald A. Norman氏との連携の中で,野田セミナー,日米認知科学シンポジウムなどを開催し,日米の一線級の認知科学研究者が一堂に会して議論をし合う場づくりを行った.これが母体となり,1983年10月に日本認知科学会が設立される.この経緯については,『認知科学』第8巻3号に掲載された「日本の認知科学はどのようにはじまったか」に詳しい.

佐伯氏は1981年に東京大学教育学部に助教授として着任する.この時期は認知科学に関する様々なシリーズ本の企画,執筆,編集に関わり,認知科学の意義,おもしろさを様々な形で伝えていくことになる.1981年から発行された『LISPで学ぶ認知心理学』(全3巻)の監修『,認知心理学講座』(全4巻)の編集などは,社会的な認知がほとんどなされていなかった認知科学を広く日本全体に知らしめることにつながった.またこの時期は,D. A. Norman, M. I. Posner, H. Gardnerによる著作の翻訳も手がけ,この分野の研究者の研究活動を多いに盛り上げた.

これらの中でも『認知科学選書』(全24巻)の編集は大きなインパクトを与えた.当時の状況から見れば「これが認知科学なのだろうか」と感じるようなトピックを,「おもしろいものが認知科学である」という立場から積極的に取り上げ,認知科学がボーダーレスであり,他領域との絶えざるインタラクションの中で壊され,また築き上げられていくものであることを強く印象づけた.

このシリーズの10巻『認知科学の方法』は佐伯氏自身によるものである.ここで氏は合理性についての規範的アプローチ,生態学的アプローチ,情報処理的アプローチ,現象学的アプローチを概観し,認知科学の源流から未来への展開の道筋を見事に描き出している.

また1980年代の後半からは,教育との認知科学の問題に深く関わるようになってくる.この時期は,『「学ぶ」ということの意味』,『「わかる」ということの意味』の執筆,改訂に加えて,東京大学教育学部の同僚であった東洋氏,稲垣忠彦氏,佐藤学氏らとともに,『岩波講座教育の方法』(全11巻),『シリーズ授業』(全10巻)『シリーズ学びと文化』(全6巻)などの編集を手がけた.『コンピュータと教育』,『新・コンピュータと教育』では,教育の世界に導入が始められたコンピュータの役割についての常識的見解をことごとく覆す議論がなされている.そこでは,シンボルや理解についての徹底的な分析を通して,教育とコンピュータの間の新しい関係性を描き出している.

氏のスタンスは認知科学の成果を教育に応用するというものでは全くない.教育の中に認知的なおもしろさを見つけ,そこから認知科学の探究すべきトピックを見つけ出し,認知科学をさらに拡大するというものであった.教育と認知科学の問題に対する,このような佐伯氏の一連の探求は,認知科学におけるいわゆる「状況論」の展開と密接に結びついていた.認知過程を個人の脳内の情報処理過程として捉えるのはなく,人々と人工物が織りなす相互行為の網の目のなかに位置づけて理解することを目指すこのアプローチは,Vygotsky学派の心理学,J. J. Gibsonの生態心理学,エスノメソドロジーなどの社会学,文化人類学など諸領域が結集した学際的な運動として芽吹きつつあった.佐伯氏はいち早くその可能性に注目し,学びにおける二人称的世界(YOU)の重要性を強調する「ドーナッツ理論」など独自の理論的展開に結びつけると同時に,このアプローチにおける重要著作の翻訳にも熱心に取り組んだ.特にJ.LaveとE.Wengerの『状況に埋め込まれた学習』,L. A. Suchman の『プランと状況的行為』の翻訳が日本の認知科学,教育研究における状況論の浸透と展開に与えた影響は極めて大きい.

佐伯氏は2000年に東大を定年退官し,青山学院大学文学部教育学科で教育と研究活動を続けることになる.ここでの担当領域は幼児教育学であった.幼稚園教諭を目指す学部学生,現職の幼稚園教諭である大学院生との相互作用の中で,これまでの氏の蓄積のすべて,さらには蓄積していないものまでも総動員した講義,演習を展開する.こうした中で氏は『幼児教育へのいざない』を執筆する.この著書では,人間の本源的社会性を中心に据えて発達を関係論的に捉え直す一方,80年代後半に氏が提唱したドーナッツ理論を拡張し,この観点から日本の幼児教育史を統合的に検討している.さらに,2007年には青山学院大学院の指導生たちと『共感:育ち合う保育の中で』を出版する. 2008年からは青山学院大学社会情報学部に移籍した.ここで氏は同大学院ヒューマンイノベーションコースを立ち上げて教育,研究活動を続けている.このコースでは「学びのプロ」の育成を目標に掲げ,主に社会人を対象として,彼らの現場での実践や経験を認知科学的に徹底的に分析することが行われている.これらの研究の成果は,同僚の苅宿俊文氏,高木光太郎氏とともに編集した『ワークショップと学び』(全3巻)にまとめられている.

この間,1991年から本会の会長を務めた他,東京大学教育学部長・研究科長,青山学院大学総合研究所長,日本学術会議会員などを歴任している.現在科学研究費補助金の申請において,細目欄に「認知科学」と記すことができるが,これは学術会議会員時代の氏の努力によるところが大きい.また氏は電気通信普及財団などからの多数の受賞歴を有している.

このように佐伯氏はきわめて多様な分野において活躍し,その分野の必須論文,著書を多数執筆してきた.こうした氏の知性,感受性,意思は簡単な要約を拒むものである.これを承知の上で,氏の特徴づけを行ってみたい.

何よりもまず卓越した擬人家として佐伯胖がある.氏は1978年に出版された『イメージ化による知識と学習』の中で,「擬人的認識論」を提唱している.擬人的認識論とは,分身(コビト)を人,もの,ことへと派遣し,その分身に派遣先の世界の制約の中で様々な体験をさせ,そして彼らに体験報告をさせ,それを統合した時に理解が生まれるというものである.佐伯氏は自分が研究しようとする世界に,何人もの分身を派遣させ,その報告を聞くこと,そしてまとめあげることが可能な人であった.佐伯氏はこの能力をフル活用して,認知科学はもちろん,経済学,数理心理学,教育学,保育学などの分野に,たくさんの分身を派遣し,その報告を聞き,まとめあげたのだろう.

これに関連して述べるべきことは,佐伯氏は歴史を上手に作る人ということである.むろんこれはでっち上げという意味ではない.佐伯氏が1980年代に数多く執筆した認知科学の誕生史,展開史は,その後に続く認知科学研究者に基盤と指針,そしてなによりも研究へのモチベーションを与えた.上手な歴史作りは,

  1. 時代の中で光るものを的確に判断し,
  2. その基盤にある時代精神を抽出し,
  3. 同じことを次の時代に対しても施し,
  4. これらを明確に対比して物語を作っていき,
  5. これを読む人にその時代に生きているかのごとき感覚を与えること

を含んでいる.これらはふつうの人間にはとても難しい.なぜならその時代で光るものはいくつもあり,この中のどれを取り出すかがまず難題である.また光るものたちに共通する事柄を見抜くのはさらに難しい.こうしたことを佐伯氏に可能にさせたのは,やはり擬人化であろう.さまざまな文献を読む過程で,いくつもの分身を派遣して著者と対話させ,その報告を聞きながら統合を行うことが,佐伯氏の歴史づくりを支えたのではないだろうか.その意味で氏の概説はいわゆる概説ではなく,「作品」と呼ぶに相応しいものとなっている.

もう一つの佐伯氏の特質は,構築-脱構築というキーワードで表せるかもしれない.先述したように氏は無類の擬人家であり,分身を派遣し,その世界の成り立ち,仕組み,意義を理解する.つまり先行研究の世界を氏の視点の下で一貫した形に構築する.しかしながら,氏はそこには決してとどまらない.一見見栄えがよく構築された世界に対して,さらに分身を派遣し,その裏にある根源的欠陥,短絡を見つけ出させたり,他のより豊かな可能性を探索させたりすることこそが,氏の思想を他と大きく分つものなのである.数理的アプローチへの傾倒とそこからの離反,情報処理的アプローチから状況論への転換は,まさに構築と脱構築のサイクルが働いた結果と言えよう1).佐伯氏をよく知る人たちに,彼の発した言葉で印象に残るものはと聞いたならば,おそらく「おもしろい」がでてくるのではないだろうか.振り返れば,氏の「おもしろい」は,その研究が研究の土台の脱構築へ向かっている時に発せられたものであったことがわかる2).その一方,従来の方法を上手に用いたとか,今までの図式や理論を応用したという研究にはえてして関心を示さなかった.

実はこの脱構築指向は自らが作り上げたものへも向けられる.彼の代表的著作である『「きめ方」の論理』の前書きの「(うまく解説できた出版前の)原稿をすべておしゃかにし」という部分,また『認知科学の方法』の前書きでは戸田正直氏の補稿に対して,この本の中の自分の態度を「イイコチャンブリッコ」とし,次は「暴走」を行うと記している部分は,まさにこの例証となる3). 今回の日本認知科学会フェローの称号の授与をきっかけに,氏がさらなる擬人化と構築-脱構築を続け,認知科学を豊かなものにしていくことを願うとともに,会員に氏の認知科学マインドが広まることを期待する.

1)この文の執筆者の一人は1980年代初頭に佐伯研究室に入り,おそらく国内ではもっとも初期に認知科学の洗礼を受けた院生である.当時のふつうの心理学では全くお目にかからない専門用語と考え方に翻弄されつつも,なんとか数年がかりでこれらを習得し,自らの研究も企画できるようになった.しかし,その時には佐伯氏の関心は,標準的な認知科学のフレームワークがうまく適用できない,「わざ」,「身体」,「状況論」へと移っており,標準的な方法に則った研究の相談においては「ごくろうさま」一言で終わりにされることもあった.

2)自分の研究に「おもしろい」と言われた院生は実は大変なことになる.20分程度の自分の報告に対して,その研究の根幹となる歴史(すなわち構築過程)について,さらに報告したことがいかなる意味で過去の研究パラダイムの脱構築となるのかについて,1時間以上にも及ぶ,佐伯氏独演のコメントを聞くことになる.こういう次第で,「おもしろい」と言われた院生は途方に暮れることになる.著者たちより後のテクノロジーの発達した時代の院生は,ICレコーダを持参して研究指導を受けていたようである.

3)憶測かもしれないが,東京理科大時代に自転車に乗れないにもかかわらず,オートバイライダーを目指し練習を重ねたこと,また50代からフルートの練習を始めたことも,氏が安定した自己を拒否し,脱構築していく意志を持っていたことに起因するのかもしれない.

主要著書,文献,翻訳

J.レイブ・E. ウェンガー, 佐伯胖(訳) (1993). 『状況に埋め込まれた学習:正統的周辺参加』. 産 業図書.
Sayeki, Y. (1972). Allocation of importance: An axiom system. Journal of Mathematical Psychology, 9, 55–65.
佐伯胖(1978). 『イメージ化による知識と学習』. 東洋館出版社.
佐伯胖(1980). 『「きめ方」の論理:社会的決定論 への招待』. 東京大学出版会.
佐伯胖(1986). 『認知科学の方法』. 東京大学出 版会. 佐伯胖(1986). 『コンピュータと教育』. 岩波書店.
佐伯胖(1995). 『「学ぶ」ということの意味』. 岩 波書店.
佐伯胖(1995). 『「わかる」ということの意味(新 版)』. 岩波書店.
佐伯胖(1997). 『新・コンピュータと教育』. 岩波 書店.
佐伯胖(2000). 『あゆみ』.(非売品).
佐伯胖(2001). 『幼児教育へのいざない:円熟し た保育者になるために』. 東京大学出版会.
佐伯胖(編著)(2007). 『共感:育ち合う保育の 中で』. ミネルヴァ書房.
佐伯胖・溝口文雄(2000). 日本の認知科学はどのよ うにはじまったか. 『認知科学』, 8, 198–204.
Sayeki, Y., & Vesper, K. H. (1973). Allocation of importance in a hierarchial goal structure. Management Science, 19, 667– 675.
L.A. サッチマン, 佐伯胖(監訳) (1999). 『プランと状況的行為:人間-機械コミュニケーショ ンの可能性』. 産業図書.

編著,監修等

東洋・稲垣忠彦・岡本夏木・佐伯胖・波多野誼 余夫・堀尾輝久・山住正己(編著) (1987). 『教育の方法(全11 巻)』. 岩波書店.
苅宿俊文・佐伯胖・高木光太郎(編著) (2012). 『ワークショップと学び(全3 巻)』. 東京大学出版会.
佐伯胖監修(1981–1983). 『LISP で学ぶ認知心理 学(全3 巻)』. 東京大学出版会.
佐伯胖・藤田英典・佐藤学(編著) (1995–1996). 『シリーズ学びと文化(全6 巻)』. 東京大学出版会.
佐伯胖・黒崎勲・佐藤学・田中孝彦・浜田寿美 男・藤田英典(編) (1998). 『岩波講座現代の教育(全12 巻)』. 岩波書店.

(鈴木宏昭・高木光太郎 記)