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日本認知科学会

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中島秀之

2013年フェロー.
公立はこだて未来大学学長・教授

中島秀之氏は,1952年11月に兵庫県西宮市に生まれた.小学校4年生のときに神戸大学教育学部附属住吉小学校に編入し,1965年に同中学に進学後,1968年に灘高等学校に進んだ.意外にも子供時代は病弱だったため読書を趣味とし,「ジャン・クリストフ」や「三国志演義」などの長編を好んで読んだそうである.

中学時代から物理学に興味を持ち,ガモフ全集を読破し,理論物理学者を志していた.ところが,1971年に東京大学理科I類に入学し,2年生の後期の計算機演習で初めてコンピュータに接して,プログラミングに魅せられ転向した.しかし,それまでは理学部物理学科への進学しか考えておらず,工学部に進学するための単位を取得していなかったため,1年間の留年を余儀なくされた.その後さらに工学部計数工学科でも1年間留年しているが,それはドイツ語と数学をサボっていて大学院の入試に落ちたため,あえて卒業せず留年してドイツ語と数学を勉強し直したのだとか.ところが次の年の入試にはドイツ語も数学も必要なくなっており,勉強して損をしたかどうかはともかく,すんなり合格.

そういうわけで1977年に大学院工学系研究科情報工学専門課程に進学し,修士課程2年生のときに交換留学でMITのAIラボに1年間留学.アドバイザはCarl Hewitt氏だったが,Marvin Minsky氏の部屋にも出入りしていた.当時は計算機資源が貴重で,共用の端末は限られていたが,AIラボでは17:00に教員が帰宅した後に,学生が教員のオフィスで計算機を使うことが許されていた.中島氏はMinsky氏の部屋で計算機を使うことが多かったと言う.Lisp文化だったMITにPrologを紹介して数人の興味を引いたとのこと.MITで取得した単位は東大で認められたが,本来の修士課程修了時に日本にいなかったため修了が1年遅れた.こうして,教養学部,工学部,大学院工学系の修士課程のそれぞれに通常より1年間余分に在籍したわけだが,どういうわけか博士課程は通常通り3年間で修了している.または,博士課程にもやはり3年間在籍したと言うべきか.いずれにせよたっぷり12年間にわたり学生生活を満喫したと言って差し支えないだろう.

中島氏は,大学院に進学した1977年に,指導教官から「人工知能の研究などしてはならない」と言われた学生達を集めて,人工知能に関する勉強会AIUEOを設立する.筆者も1983年ごろからAIUEOに出入りするようになり,それが中島氏との交流の始まりだったと思う.AIUEOはArtificial Intelligence Ultra Eccentric Organizationの頭字語ということになっているが,まずはArtificial IntelligenceからAIUEOを思い付き,UEOがUltra Eccentric Organizationだというのはテキトーに考えたに違いない.

当時の東大の工学部や大学院工学系では,人工知能などというウサン臭いものは学問ではないというような雰囲気があり,当然ながら人工知能を研究する教官も皆無であった.そのような状況で時代の流れを読みAIUEOを立ち上げて多くの賛同者を集めたのは,中島氏のカリスマ性の,筆者が知る最初の発露である.中島氏に会った人は,まずはその190cmを越える長身から「この人はタダモノではない」という圧倒的な第一印象を受けるわけで,それが氏のカリスマの一端を構成しているのは確かなのだが,カリスマ性の本質は,独創的なアイデアとブレないリーダーシップにあると思う.その後も中島氏は,まだ大学院生だった1980年代前半から,論理プログラミングやその知識表現への応用,マルチエージェントシステムや認知科学に関する研究において,指導的な役割を果たしてきた.博士課程在学中に著した「Prolog」は,日本初のPrologの教科書である.

1983年に博士課程を修了して工学博士の学位を取得し,通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(電総研)に入所.その後,1985年にシラキュース大学の客員研究員,1987年から1990年にかけて3回にわたりスタンフォード大学の客員研究員を務めた.スタンフォード大学では,CSLI (Center for the Study of Language andInformation)を拠点とする国際的な研究コミュニティの形成において大きな役割を果たしている.特に,CSLIのJon Barwise氏やJohn Perry氏を中心とする状況意味論(situation semantics)のアクティビティと当時進行中だった日本の通商産業省の第5世代コンピュータプロジェクトとの交流が中島氏らの尽力によって活性化し,さらに,中島氏と親交の深いStanley Peters氏(現CSLI所長)らを通じてCSLIは日本から多くの在外研究員を受け入れ,その人的ネットワークは現在に至るまで成長し続けている.

筆者も,第5世代コンピュータプロジェクトの集中研究拠点であった(財)新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)に1988年から1992年まで出向していたこともあって,CSLIやSRI (Stanford Research Laboratory)との連携に関わり,その後も1995年ごろまでスタンフォード大学をしばしば訪れていた.ちなみに,中島氏はオートバイ乗り・飛行機乗りとして知られており,現在学長を務める公立はこだて未来大学のWebサイトにもオートバイに跨った写真が掲載されているが,飛行機乗りとしてのエビデンスはあまり公開されていないように思われる.日本国内ではなかなか飛ぶ機会が見出しにくいということも関係しているのだろうと思うが,スタンフォード近辺に出張するたびに飛んでいるらしい.実際,筆者はカリフォルニアで3度ほど,中島氏の操縦する飛行機に同乗させてもらったことがある.

2001年の独立行政法人化を控えた1999年10月,中島氏は電総研の企画室長に就任した.ちなみに同年9月まで氏が務めていた情報科学部長の後任は筆者であった.企画室長の職は部長職の前に務めるのが従前の慣例であったが,このとき中島氏が情報科学部長の後に企画室長を務めたということは,法人化前の予断を許さない状況に対処すべき企画室長の責が特に重い時期だったということだろう.実際,ガス爆発事故への対応(詳細は中島氏本人にお聞きいただきたい)など,企画室長としての中島氏の危機管理能力は高い評価を得ており,これは適切な人事だったと言えよう.

電総研を含むいくつかの研究所がまとまって独立行政法人化することにより,2001年に産業技術総合研究所(産総研)が発足した.中島氏は産総研内にサイバーアシスト研究センターを設立して初代のセンター長に就任し,ユビキタスコンピューティング等に関する研究プロジェクトを推進した.これは,昨年本学会のフェローに選ばれた安西祐一郎氏を中心に中島氏らが参画して国家プロジェクトとして構想された「知的社会基盤」を実現しようとするプロジェクトである.人間中心の情報システムを謳い,実空間でのサービス提供を行うという先進的な試みであり,認知科学や情報技術の社会応用を軸として,フルデマンドバス,協調カーナビゲーション,エージェントデバイス,知的コンテンツ,イベント空間情報支援など,独自性が強く適用可能性の広い技術に関する研究を展開した.その基本コンセプトは「デジタル世界を実世界にグラウンディングすること」である.

中島氏自身は2004年に産総研を辞して公立はこだて未来大学学長に就任し,サイバーアシスト研究センターは同年7月に閉鎖された.しかし,同研究センターと連動して2001年に結成されたサイバーアシストコンソーシアムは2007年まで存続し,またセンターの研究成果の一部である個人用音声情報端末(Aimulet)は,2005年の愛・地球博での日本政府の企画(グローバル・ハウスおよびShow \&\ Walk)において活用され,2006年に経済産業省よりグッドデザインエコロジー賞を受賞するなど,いくつかのアウトカムが現われている.
中島氏は,公立はこだて未来大学学長に着任した後,2008年4月に同大学の公立大学法人化に伴って理事長兼学長となり,現在に至る.産総研から未来大に移る時期に当たる2003年から2004年にかけて本学会の会長を務めたが,その他にも,人工知能学会,日本ソフトウェア科学会,情報処理学会等の要職を歴任し,情報処理学会および人工知能学会のフェローにも選出されている.現在,大学の学長に加え,JSTさきがけ「知の創生と情報社会」領域総括等を務め,若手研究者の育成にも尽力している.

中島氏は,一人で粛々と成果を積み上げるタイプの研究者ではなく,他の研究者を鼓舞しトレンドを先導するタイプの研究リーダおよび経営者として傑出したカリスマ性を持つ.はこだて未来大学の多くの研究者に請われて同大学の学長職に就いたのも,そのカリスマゆえであろう.筆者が中島氏の部下であったのはサイバーアシスト研究センターの3年間だけだが,その間は当然ながらAIUEOや電総研のころにも増して氏のリーダーシップに触れる機会が多かったので,以下では同研究センターについて少し詳しく振り返ってみたい.筆者は,最初は副研究センター長として,中島氏が去った後は研究センター長として,サイバーアシスト研究センターに参加し,その間に知的コンテンツ等の研究に従事したが,その基本的な着想は1997年ごろに得たばかりであり,まだ技術思想として熟成してはいなかった.

サイバーアシスト全体の概念も同様と思われる.サイバーアシスト研究センターの研究テーマは,今で言うサイバーフィジカルシステム,スマートシティ,ビッグデータなどにわたる研究領域を先導するものであり,センターが設けた国際アドバイザリボードの報告書にも書かれているように,環境知能,セマンティックWeb,マルチエージェント技術という,情報技術の3つの主要な流れの統合を目指していたという点において世界の最先端に位置していたと言えよう.しかしだからこそ,サイバーアシストは「10年早すぎた」(中島・橋田, 2010)プロジェクトだったと考えられる.技術が実に曖昧な形で生まれてから社会との相互作用を経て熟成し強靱な思想として確立し普及するには10年以上の歳月を要するのが普通だと思うが,サイバーアシスト研究センターが設立されたころにはユビキタスコンピューティングや環境知能の概念はまだ社会に定着しておらず,政府や産業界の理解を得るのが難しかった.さらに悪いことに,「サイバー」という用語が本来とは異なる意味で広く用いられてしまっていたため「サイバーアシスト」という命名も失敗だったと思われる.

サイバーアシスト研究センターが3年少々の短命だったのはおおよそこのような事情によるものと考えられる.鉄腕アトムが生まれたことになっている2003年4月7日に有限会社サイバーアシスト・ワンを設立してサイバーアシスト研究センターの研究成果の事業化を目指したが,具体的な顧客のアテもないのに起業したのは早計であった.機が熟していない試みは不完全燃焼に終わる.

しかし,今や機は熟したのではないだろうか.スマートフォンやウェアラブルデバイスが普及し,M2Mなどの概念も登場して,デジタル情報と実世界の間の関係が緊密化してきた.中島氏が掲げたサイバーアシストの思想は,サイバーアシスト研究センターの終了後10年近くを経て研究課題が明確化され,具現化の見通しも立ちつつあるように思われる.

たとえば,サイバーアシスト研究センターにおいて,中島氏は「位置に基づく通信」を提唱していたが,これは,電話番号やメイルアドレスやMACアドレスのように装置や個人を特定するIDではなくて物理的な位置をIDとする通信の方式である.装置や個人を特定する通信では,送信者と受信者がほぼ必然的に互いの身元を特定できてしまうので,プライバシが脅かされる恐れが大きい.このようなプライバシのリスクが近年のスマートフォン等の普及によって顕在化しつつあることは周知の通りである.位置に基づく通信は,時々刻々と変化する物理的な位置をIDとすることにより,プライバシに関するリスクを低減するような通信である.情報技術の進展が引き起こすプライバシの問題に10年以上前から気付き,その解決法を提案していたのは中島氏の先見の明と言えよう.プライバシを担保しつつ個人データを社会的に共有し活用する方法を筆者は2008年ごろから研究しているが,よく考えればそれも中島氏の問題意識から少なからぬ影響を受けていると考えられる.

また,サイバーアシスト研究センターでは,位置に基づく通信を含むいくつかの要素技術を統合した「マイボタン」という個人情報端末の開発を目指していた.これは,状況を認識する技術に基づいて,ボタン1個だけで適切なサービスを提供できる機能を持つデバイスであるが,当時から10年経ってようやくその技術的輪郭を具体化することが可能になったような気がする.

たとえばインターネットは,核攻撃によって部分的に破壊されても全体としては機能し続ける,自律分散協調システムの典型的な例であるが,まっとうな情報技術の研究者であれば多かれ少なかれ,そのような自律分散協調システムを理想と考える傾向がある.中島氏は,マルチエージェントや位置に基づく通信の研究に見られるように,一貫して明確にその立場を取っている.今だに中央集権的なレジームから抜け出せないでいる日本の産業や文化を再生するには,中島氏がサイバーアシスト以前から追究してきた自律分散協調システムの社会実装が不可欠であろう.中島氏の本学会フェロー就任を機に,そのような理想に向かう研究が活性化することを祈念している.

参考文献

中島 秀之・橋田 浩一 (2010). サービス工学としての サイバーアシスト ― 10 年早すぎた?プロジェ クト. 『シンセシオロジー』, 3 (2), 96–111.

主要編著書

共編 (2010). Handbook of Ambient Intelligence and Smart Environment. Springer.
共著 (2004). 『知能の謎 認知発達ロボティクスの 挑戦』. 講談社ブルーバックス.
共編 (2004). 『AI 事典第 2 版』. 共立出版.
中島 秀之 (2000). 『知的エージェントのための集合と論理』. 共立出版.
共編著 (1995). 『思考 (岩波講座認知科学 8)』. 岩波書店.
中島 秀之 (1992). 『楽しいプログラミング II記号の世界』. 岩波書店.
中島 秀之 (編) (1992). 『マルチエージェントと協調計算 I』. 近代科学社.
中島 秀之 (1983). 『Prolog』. 産業図書.

(橋田 浩一 記)